愛されない

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と言って食べる私を横目に見て、祖父は自分の部屋にお皿を持って行ってしまった。

私は嬉しかった。

おじいちゃんが分けてくれたのが嬉しかった。


その後何度か、エイヒレを料理している祖父を見つける度に、

近くに行って見ていると祖父は少し分けてくれた。



私は祖父をそんなに嫌いじゃなかった。

母の手前、あまり近づかないけれど話しかけることはできた。

笑顔にはなってくれないけど、少しだけ祖父の声色に優しさも感じたこともあった。


でも母が祖父について話すことは悪口しか聞いたことがない。

お酒ばかり飲む。タバコを吸う。

冬、外に飲みに出かけ泥酔し、道路に寝ていたところを車に引かれ入院したこともあったという。


タバコの臭いは嫌い。お酒の臭いのも苦手。

それでも、おじいちゃんは嫌いじゃないけどな・・・。



その祖父が病気で入院した。

父はちょこちょこお見舞いに行っていたが、母が行くことはなかったように思う。

だから私たちも行かなかった。


祖父の病気が悪くなり、家族が病室に呼ばれた。

私たちも病室に呼ばれた。父と母と私たちと、叔母たちとイトコがいたように思う。

みんな神妙な顔をしていた。

詳しい状況がよく分からなかったが「おじいちゃんがいなくなるかもしれない」と感じた。

子供たちは一人ひとり枕元に行って、声をかけるよう促される。

祖父の枕元へ行って、私も何か言葉をかけたと思う。


その様子を、叔母たちが冷たく見つめていたのを私は見た。

祖父のお葬式の時泣いていた私を見つめる叔母たちの冷ややかな目も、

わけのわからない恐怖とともに記憶している。

私が小学4年生の時だった。



  なぜ監視されてるみたいなんだろう。。信頼されてないのかな。。



祖父が亡くなると、母は家でよく祖父に対する不満を私に話した。

兄にも話していたかもしれないが、それはわからない。


母が辛い思いをしていたことを知って、なぜか私はこう思うようになった。

私のせいで母は嫌な思いをしたんだ ---


私たち子供のしつけなどについて祖父が言及したことがあったらしい。

母のためにもいい子にならなければと、無意識ながらますます思い込んでいった。


家の中で自分の味方は兄と私しかいないと、そう母は思っていた。

というか子供たちだけは自分の味方に、と思っていた。


子供たちが幸せになるよう育てなければ。

幸せになるために必要なことは自分が考えてることを整えることだと母は思っていた。


それで私たちを母が一番いいと思う道に歩ませようとし、

私たちのために貯金をし、家を建て、塾に通わせ進学させていった。





◆ 病気がちの子供時代



私は物心ついた時から、人前で怒られるのが異常に嫌いだった。

特に母は人前だろうとなんだろうとよく叱った。

親戚のおばちゃんたちの前で叱られた時、親戚のおばちゃんに対して私は必死で取り繕った。

「そんなことをしたのにはね、理由があるの」

とばかりに。


自分でも変だと思う。なんで私こんなに必死に言い訳してるんだろう・・・

そう思いながらも、必死で言い訳していた。


母が言うのは、

「ちゃんとしなさい」

「勉強しなさい」

「片付けなさい」

というようなことばかり。

私は無意識にも"ちゃんとしなければ”と思っていた。

私は、"いい子”でいなければならないと思っていた。



  私はちゃんとしてなければ愛されないんだーーー



5歳の2月頃、保育園に行くために、仕事に行く父の準備を待っている時、

ふいにお腹が痛くなった。

普通の痛さと違う、ものすごい痛みで、声も出せないほどだった。

か細い声で、

「おとうさん・・・おなか・・いたい・・・」

と言うのが精一杯だった。


病院に行きそのまま入院することになった。

病名は、膵臓炎。

5歳の子供が罹る病気ではない。

私は輸血を受け、1ヶ月あまり入院した。


入院した病院は家から近く、両親は毎日顔を出してくれた。

油を使った料理やお菓子を一切食べることができなかった私を元気付けるため、

母はひなあられを買ってくれ、ベッドの上に置いて

「治ったら食べようね」

と言ってくれた。


とても嬉しかった。

母は私を愛してくれてるのかもしれない・・・

そう思えたから。



5歳の子が膵臓炎になる。

それほど私はストレスを溜めていたのだろうか。

幼い自分にはまったく分からないことだけど。

ストレスがなんなのかすら知らないころだった。


こんなことがあった。

小学生になる前のある日、家族で買い物に出ていた。

ふと楽器店を見るとピアノが置いてあり誰でも弾いていいと書いてあった。

「弾いてみたら?」と母に言われ、ピアノを触った。

音が出るのが面白く何度か音を出した。

すると母はこう言った。

「ピアノと英語の塾に行くなら、ピアノを買ってあげる」


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