愛されない
チクリと何かが左胸に刺さった。
でも今は何をどう考えていいのかわからなかった。
ただ刺さった何かがおそろしく哀しかった。
我が子を亡くしたのだ。
母親が我が子を亡くしたのだ。
子を亡くして哀しまない親があるだろうか。
悲しみが大きいければ大きいほど、それが突然であればあるほど、涙は出ない。
時間が経ち、心が癒やされた時、堰を切ったように流れだす。
心を寄せられる人の温かい一言が、その癒やしになるかもしれない。
けれど心を許せない人たちの中で本心など見せられるはずもない。
母はこのことを父に言うこともなく、誰にも言わず、ただ心を閉ざした。
父は父なりに母を心配し、心を掛けていたに違いない。
しかし母には見えず、伝わらなかった。
母に伝わらない父の想い。
父に伝わらない母の想い。
父と母の溝は波に侵食されるがごとく、少しずつ少しずつ広がっていった。
◆ 祖父と私の記憶
私が両親と兄と暮らすようになったのは実家だったか、実家近くの空き家だったか。
実家を建て直すことになりすぐ近くの空き家に家族で引っ越していた。
狭い台所と居間、その他に寝室くらいあっただろうか。
あまり家族団欒の記憶が無い。
おそらく私を引き取ったのは、いよいよ新居に移ることと、
私の保育園の入園も間近だったためで、空き家に暮らした期間は短かったのかもしれない。
その空き家に祖父がいた記憶は無い。
兄はすでに小学生になっていた。
保育園には毎日父が送り迎えをしてくれた。
母は学校への出勤があるので早く家を出る必要があったからだ。
父との通園は楽しかった。
父はいつも私に向かって微笑んでいた。
保育園は特に楽しいわけでもつまらないわけでもなかった。
保育園に行きたい!と思っていた記憶もない。
友達との思い出もあまり記憶に無い。
記憶にある意識は、とにかくいい子で過ごさなければということ。
みんなにいい子だと思われなくちゃ。
自分がどう思われているか、どう見られているかが全てだった。
トイレに行きたい時も、なんて言っていいのか、そんなことを言っていいのかわからず、
人知れず大きい方をパンツの中に漏らし、一人でトイレに行って処理したこともある。
そんな日は、早く家に帰りたかった。
新しい家には祖父の部屋もあり、祖父も一緒に住んだ。
祖父は普段から、母だけじゃなく私たちにも笑顔を見せることはなかった。
そんな祖父もイトコには笑顔を見せていた。
今日は機嫌がいいのかな?だったら私たちにも・・・と期待したけれど、
私たちの方にその顔が戻ってきた時には、いつもの難しい顔になっていた。
ああ、やっぱり嫌われているんだ 私は愛されないんだ---
私の記憶にはないけれど、母が言うには祖父は私たち子供に対する態度がひどかったという。
並んで廊下の拭き掃除をしていた兄と私の指先をストッパーにしてスリッパを履いたという。
これが本当なら、きっと他にもいろいろなことがあったんだろう。
兄は私の4歳上なので、私より鮮明に多くのことを記憶しているかもしれない。
祖父は相撲が大好きだった。夕方はたいてい居間で相撲を見ていた。
私たちは夕方の5時から30分間放送されるアニメ番組を楽しみにしていた。
相撲は5時から5分間ニュースに切り替わる。
その5分間、アニメを見たくて、チャンネルを変えたかった。
祖父に「チャンネル変えてもいい?」と恐る恐る聞くと、
「ニュース終わったら相撲に戻せよ」
と無愛想に言われた。
それでも嬉しくて、チャンネルを変えてアニメを見ていた。
5分間。
その時間で見れるのはオープニング曲とアニメの序盤。
もう5分経ったかな・・・。でもあとちょっと、あとちょっと見たい・・・。
夢中で見ていた私に祖父は、
「早く相撲に戻せ!」と怒鳴った。
ビクッと緊張が身体を走り、サッとチャンネルを変え部屋の隅に移動した。
怖かった・・・
怒ったかな・・・また私のこと嫌いになったかな・・・
しかし私の中にある祖父との記憶は良くないものばかりではない。
ある日学校から帰ると、みんな出かけていた。兄はまだ帰っていない。
祖父が台所にいる気配がした。
鞄を置いて台所に行くと、やはり祖父がコンロのところで何かをしている。
近寄っていってそーっと覗いてみると、魚のようなものを料理しようとしていた。
「これなに?」
と聞くと、
「ヘビダ(エイヒレ)だ」
と答えてくれた。
「ふ~ん」
ジーっとそれを料理する様子を見ていたら、ふと祖父が言った。
「食うか?」
パーッと景色が輝いた気がした。
「うん!」
祖父は私にも少しエイヒレを味噌で煮たものを分けてくれた。
食べてみるとすごく美味しい!
「おいしい♪おいしい♪」
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