愛されない

7 / 12 ページ

◆ 子供の決意



母は子供に小さい頃から学校の先生になることを望んでいた。

自分自身が教師になってより安定した給料が貰えること、

福祉の面が充実してたことなどがその理由らしい。

教師じゃないとしても公務員にはなるようにと、小さい頃から言われていた。


私が小学1年生になると母は小学1年生の担任になった。

それから私が5年生になるまで、母も1年ずつ担任を上がっていった。


母は家に仕事を持ち帰ることがたびたびあった。

休日も持ち帰った仕事をしていることがあった。

私はテストの丸付けを手伝ったことがある。

答えと同じものには丸を付け、違うものには斜めに線を引く、というお手伝い。

そういうお手伝いは楽しかった。

赤ペンでまるっと書く。いつも母がやっている仕事のお手伝いをすることは、

なんだか大人になったような気分だった。


それでも教師になるかと言われれば、なんとなく嫌だった。

年を追う毎に「なんとなく嫌」は、「絶対嫌だ」に変化していった。

その理由は、母がいつも大変そうにしていたから。


家に帰ってくれば、「疲れた、大変だ、あれもやらなきゃこれもやらなきゃ」。

教師をすることが楽しいようにはまったく思えなかった。

その様子を見て教師になりたいとはどうしても思えなかったのだ。


たぶん私には教師という職業に対する興味が無かったからだと思う。

もちろん教師は大切な職業だし、教師に使命を持っている方にとっては素晴らしい職業。

でも私にとっては違ったんだと思う。

教師になれ!と言われる度に、ただ反発するかのように、

「絶対にやらない!」と気持ちが固まっていった。


それまで母の言うことを100%信じ、母を困らせないようにしようとしてきた私が、

初めて母の言動に対して疑問を持ち、自分で意志を持ったことだった。




母の言動に疑問の持ったことはもう一つある。

それは物を壊した時のこと。

父や兄、そして私が食器を壊したりすると、母は烈火のごとく怒った。

そこまで言わなくても・・・と子供心に思うほど、母は言葉をぶつけた。


ある日、母がうっかり食器を落として割ってしまった。

母は自分を私たちを責めるように、自分自身をも責めるのではないかと思った私は、

母を慰めようと台所へ駆けつけた。


しかし、母は笑っていた。えへへ、と笑っていた。

「あら~、割っちゃったな」

そう言って薄く笑った。


頭に疑問符がいっぱい浮かんだ。

なぜ?

なぜ私たちの時はあんなに怒るのに、自分がやると怒らないの?

何が違うの?


こういうことはいろいろな場面であった。

何かおかしい。何か変だと思ったが、何が変なのか、幼い私には分からなかった。



小学高学年になった頃、友人たちはお互いの家にお泊りなどして遊んでた。

いいな~と思っていた。


すると私にもそんなチャンスが巡ってきた。

数少ない友達が「泊まりに来ない?」と誘ってくれたのだ。

嬉しくて走って家に帰って親に告げると、母は断固として反対した。


「ダメ。泊めるのも泊まりに行くのもダメ。」


わからなかった。その理由がわからなかった。

兄は泊まりに行っているのに、どうして私はダメなの?女だから?

女だとどうしてダメなの?


  私だから?

  私を愛してないから?信じてもらえないんだろうか。。



兄が冗談で

「お前は家の裏山の樹の根元に捨てられてたんだぞ」 なんて言う度に、何も言わない父母を見て不安に思っていた。

なんて言う度に、何も言わない父母を見て不安に思っていた。

そして怒られる度に、本当に捨て子だったのかもしれない・・・と

家の外の小屋に入り、一人落ち込んだりしていた。


思い返せば「してはいけない」ということをたくさん言われていた。

幼いころは、そうなんだ・・・と素直に聞いていたけれど、

成長するに従って、疑問が消えなくなっていく。


母に笑って欲しい。

いい子になったら笑ってくれるんじゃないか。

言うことを聞いていたら愛してくれるんじゃないか。

そう思えばこそ、自分の心を押し殺してもいい子になろうとした。



小学5年生の時、校長先生が変わった。

なんと母がいる学校から変わってきた校長先生だった。

母は私に言った。

「校長先生の前で、ちゃんとしなきゃだめだよ」


それを守って私は校長先生の前で礼儀正しく挨拶し、いい子を演じた。

それ以来、校長先生は私を見かけると近寄って話しかけてくださるようになったが、

私にはそれがとても嫌だった。

それで校長先生を次第に避けるようになっていった。



苦しい。なんだか生きにくい。

おかしい。大人ってなんだかおかしい。

でも母が願うように出来ない私がダメなのかもしれない。


わかってもらえないのが悔しい。

言い分を聞いてもらえないのが悔しい。

お母さんにだって子供時代があったんだから、同じ気持になったことあるでしょ?


「子供の頃、私と同じような気持ちじゃなかった?」

返ってきた答えは、「忘れた」だった。



「今のこの子供の心を絶対に忘れない。大人になっても絶対に絶対に忘れない!!」

子供心に強く強く、何度も何度も、脳に刷り込むように思い、決意した。

2つ目の決意だった。

著者の西澤 佳子さんに人生相談を申込む

著者の西澤 佳子さんにメッセージを送る

メッセージを送る

著者の方だけが読めます

みんなの読んで良かった!

STORYS.JPは、人生のヒントが得られる ライフストーリー共有プラットホームです。