愛されない

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 分かってもらえない---



母の良いと言うものを良いとは思えない。

それなら完全に自分が良いと思うものを選ぶ生き方をすればいいのに、

やっぱりいい子を演じ続けてしまう。

親の前でも友達の前でも。



相変わらず病気がちだった私。

高校時代は1年間くらい皮膚病に悩まされた。

頭から足の先まで皮膚病に侵され、大学受験の日も顔や頭皮までブツブツの状態だった。

大学生になった後、いつのまにか治った。


大学時代は親の目の無い環境に大いに羽を伸ばした。

選んだ大学は国立大学。

自分で決めたというより、親や親戚、友達、高校の先生などのアドバイスで決めた。

本当は看護の仕事に興味があり、そちらも国立大学だったけれど、

方や4年制で岩手県。方や3年制で宮城県。

親元近くに置きたい親の想いと、3年制より4年制という、

今思えば訳の分からない理由で進路を決めてしまった。

大学でもうまく人間関係を築けなかった私は、

大学2年目の冬、突然大量出血するという病気に見舞われ、3年目の春に大学を中退。

この時から低血圧症になった。


大学を中退した後、私は一人で自分の進路を考えたいと言ったけれど、

結局親が段取った地元の専門学校に通うことになり実家に戻った。





◆ 人が怖い、人といられない



大学に入り一人暮らしになった時、親の有り難みを初めて感じ、

母と少し話すようにしようと思った。


その思いも結局また実家に帰ったことで無くなってしまった。

いや一度一人暮らしの自由を味わっただけ、もっと話さず距離を置くようになっていた。

いろいろ干渉されることが、とても窮屈で嫌だった。


再び私から母と話そうと思うようになったのは、私が就職してからだった。

就職して自分で働いたお金で、家賃も光熱費も食費も賄うようになると、

母の大変さがますます分かるような気がしたのだ。

働きながら家族のために毎日食事を作り、掃除をし、ボタン付けまでしてくれていた母。

外食など数えるほどしか記憶に無いほど、毎食母は作ってくれていた。

休日の昼食くらいは父か私が作っていたけれど、夕食はやはり母が作ってくれた。


私は1日平均16時間労働だった時、家に帰って自分のために料理を作ろうなどとても思えなかった。

というより夕食をデスクで摂りながら仕事してることが多かった。

休みの日すら料理をしようとは思えなかった。


今でも、自分一人のためにおいしく食事をするために作ろうとは、正直ほぼ思えない。

一緒に食べる人がいるから作ろうと思える。

そういうものかもしれないけれど。


母は一生懸命家族のために時間を使ってくれたのだ。

どんなに私が鬱陶しく思うことがあったとしても、母は私に良かれと思って育ててくれたのだ。


そう思えばこそ、母に話しかけようという気持ちになった。

頑張っているのに子供に無視されるなんて、悲しすぎる。



話しかけるようにしたとはいえ、帰省して3日目にもなると母の言動にイラッとし、

また母と距離を取りたくなる。

長期の休みでも帰省期間は移動日を含めて最長3日間としていた。

それでも帰るとき、見送りで手を振る両親の姿には、後ろ髪を引かれる思いだった。



何歳になっても、父や母にいい子だと思って欲しい。

私自身を認めて愛して欲しい。

肩書とかお金とかキャリアとかそんなものじゃなく、このままの私を認めて欲しい。


そんな本心を見ないように蓋をして、

私は一人でどこにでも行けるし、一人で生きていけると強がっていた。


自分の本心と向き合わず、本心を偽って生きていたその結果は、とても痛いものだった。


心からの友人は得られず、人に協力してもらうやり方を知らず、

「ありがとう」の心も薄く、自分を褒めてくれ、認めてくれという態度は表に出まくり、

人に疎ましく思われる人間になっていた。


それにも気付けず、ますます私は自分の正しさを主張するだけの頑なな人間になっていき、

周りから人が去っていった。

しかし私は「一人でいたほうが気を使わなくていいから」と

現実に起きていることを直視しようとはしなかった。



  生きることが何か苦しい。

  なんか私だけ上手くいかない。

  こんなに頑張ってるのに、誰も分かってくれない。



それでも何日も人と関わらないのは、ものすごく寂しくて不安になってくるので、

良い人だと思われるように、笑顔を作り、動作に気をつけ(気をつけられる範囲で)、

人と接していた。


そんなだから人と接するとものすごく疲れた。

家に帰るとぐったりする。

頑張って数時間も人と接すると、翌日丸一日はぐったりして誰にも会いたくなくなる。

仕事もあるからそんなことを言っていられない。


頑張って、頑張って、頑張って、頑張って。

自分をいじめていじめていじめていじめ倒して。

そうして私は自分で自分を精神的に追い詰めていた。


その代償は、半年に1度の大きな病気や怪我だった。

当時はまさか自分が自分を追い込んでいるなんて思いもしなかったけれど。

最終的には精神的にも追い込まれ、休職を必要とする状態にまでなった。


誰かと数時間一緒にいるなど考えられない。

気持ちが安らがない。

人の評価が怖い。

人の目が怖い。


全部まっさらにして、私を誰も知らないところに行きたい。

でもずっと一人は寂しい。

やり直したい。


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