強豪チームで平凡選手がベンチ外からスタメンになった話

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一流のアスリートの方々がどのようにして活躍したかという書籍は多く出ています。

その道でご飯を食べていく、プロを目指す方にとってバイブルとなりますが、それ以外の人にとっては『やっぱ一流は凄いな』と違う世界に感じてしまうのではないでしょうか?


至って普通なんだけど、ただただ学校の部活で試合に出たい!活躍したい!

普通の人はそう考えますよね?

朗報です!


平凡な私は大学で未経験のままラクロス部に入部。

大所帯の強豪チームにて、4年生でベンチ外から短期間でスタメンになり、チームに貢献することを経験しました。

体力と走力はチーム内では下の下。それにも関わらずスタメンで活躍することが出来たのです。


なぜそんなことができたのか?

実体験と共にお伝えします!

そもそも入部の理由はユニホームを着た先輩方がとても可愛く、

かつプレーがとてもキラキラしていてかっこ良かったからという単純なものでした。

スコート履いてグランド駆けて、クロス持ってキャンパス歩くなんて青春!!

と憧れて入部したわけです(笑)


しかし入部してからすぐに想像と違う現実に向き合わされることになるのです…。


関東学生ラクロスの女子チームは2004年当時全校で61校。1部リーグから4部リーグまであり、入学した大学は頂点である1部リーグから1度も落ちたことのない古豪と呼ばれる強いチームだったのです。

もちろん練習はキツイし先輩は厳しい。

試合に出場出来る選手は精鋭のみ。

仲良く皆で試合に出て楽しむ…という夢は消えて無くなりました。


練習は朝6時半から週4~5回で、家が遠かった私は朝4時半起きで通いました。チーム内の人数は1年生から4年生まで総勢60名程で、ラクロスの場合スタメンは12名、ベンチは8名までです。残りの40名は応援席で応援となります。


1つ上の学年は皆上手く、1人は日本代表、5人は22歳以下の日本代表に選ばれる程でしたので、他大学よりも試合に出るのが難しいのではないかと感じていました。しかも同学年では高校で陸上部やソフトボール部出身者も多数いて、私は帰宅部という厳しい状況でした。


自分
どんなに強豪チームでも早起きをして遠方から通い、辛い練習をして4年間試合に出られないなんて、そんなの絶対ヤダ!

そう、せっかく大事な4年間をラクロスに費やすのであれば、

しっかりと結果を出したいと思いますよね?

意地でも試合に出てやると入部当時心に決めました。

そしてひたすらにラクロスに明け暮れました。

6時半からの朝練に出てから授業を受け、夜はアルバイトをして

…また朝は4時半に起きてという生活です。

良くやったなと今では当時の自分を尊敬します(笑)

1.2年生は体力も技術もないので基礎練習と球拾い、先輩方のフォローが主な内容です。

センスのある子はこの時点で試合メンバーに引き抜かれたりしますが、

私は全くお声は掛からずのまま。そしてあっという間に上級生の3年生になってしまいました。


チームの練習は実力順にA.B.Cと3つに分けており、Aチーム20名がベンチ入りとスタメンです。毎月幹部がミーティングで決めたメンバーがメールで発表されるシステムでした。

3年生になって初めて、私はAとBを行ったり来たりしながら点数を決めるアタックのサブとしてようやく起用され始めました。


しかし、調子も良くもう少しでベンチ入り安泰になる…と思った矢先に怪我をしてしまったのです。

左膝内側側副靭帯の損傷で全治3ヶ月でした。3年の9月、リーグ戦の真っ只中だったのです。

そこで3年生のシーズンは終わってしまいました。


現実って厳しいですね…。

やっとAチームに呼ばれるようになって、ここからって時に限ってですから。


それでもまだ3年生の後半ですから、なんとか4年生で試合に出なきゃ!とリハビリに通い、他のメンバーが練習している時間は筋トレをしながら上手い選手のプレーを頭に入れたり、色々なプレーを見ては自分ならこうするとイメージをたくさんしました。チームのプレーを客観視することはとても勉強になります。


しかし自分と同じくらいだった子達が練習出来ない自分の目の前でどんどん成長し、試合に出ている姿を見ると悔しくて悔しくて。

なんで自分だけこうなるの…とショゲている時も多々ありました。

ただこの経験はとても大事なことだったのです!

怪我をして練習出来ない選手悔しさは、怪我をしていない選手にはわかりません!


試合中どんな苦しい状況に追い込まれても、練習出来ない悔しさに比べたら大したことないと思えるのです!

これは本当に感じました!試合中苦しい時にこの時期を思い出すだけで力出ます!マジで!


しかしながらまだまだ最悪な状況は続きます。

怪我は治っても技術面も体力面も周りとの差は大きく開き、埋めるのに時間が掛かることに気付きました。4年生になる寸前の3年生の2月のことです。

新しくコーチを迎え、そのコーチに言われた言葉は当たり前だけど、とても辛いものでした


コーチ
もし同じような実力であれば俺は下級生を出す。その方が将来の大学の為になるだろ?最上級生は信頼されていて使えるヤツしか出さない。

もう戦力外通告をされたようなものでした。

頑張ったけどもう自分には無理かもしれない…


3月の春合宿最終夜、コーチの部屋に相談に行きました。

選手を引退し、スタッフになるという決意を固めていたのです。

するとコーチは驚き、こう言ったのです!

コーチ
今のポジションではダメだけど、ディフェンスに移ったらいいんじゃないか?


正に目から鱗。

私の中では点数を決めるアタックというポジション以外にやるなんて考えてもいませんでした。

しかし状況は選手を引退するという究極の選択まで来てしまったのですから、

もうやれるものならやってみようと思ったわけです!


自分
試合に出られるのであればどこでもやってみよう!確かにアタックに比べたらディフェンスの方がポジション争いは激しく無いじゃん!

アタックとしての変なプライドはさっさと捨てて、

ディフェンスにポジションチェンジをするという選択をしました。

これが自分にとっての大きな分岐点となったのです。



春合宿最終日、実力順にA.B.Cとチーム分けをして紅白戦をすることになりました。

私はCのディフェンスとして最後に名前を呼ばれました。

つまり1番下の実力という評価です。

ここでコーチとの勝負だと思い、全てを賭けようと思いました。


もう失うものは何もありません。

1番下なのですから暴れるだけ暴れてやるという気持ちだけでした。

すると不思議なことに大活躍することが出来たのです。


始めは他のメンバーさえ、私がポジションを変えていることに気付いていませんでした。

しかし試合が進むにつれ、Aチームの攻撃をことごとく防ぎ、カウンター攻撃でCチームが点数を決めていて、その中心に私がいるということにメンバーが気付いていくのでした。

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