本来の自分について~22年間自分壊しを続けた私~5
・自分の再構築への違和感
さて、散々自分を壊し続けた私も、大学を卒業し社会に出ていく時期を迎えました。私はこのころこう考えていました。
「よし、相当自由に考えて動けるようになったから、これからはより良い自分になるために、自分を作り替えていこう。より自分の好きな仕事、関係、環境を作り出して、自分をもっと輝かせていかないと」
そう思って、就職活動や、社会参加とか、以前にも増して活動的に動こうとしました。
しかし、私はこのころから10年以上の長い悩みの時期に入ります。
ああなりたい、こうしたい、そう思うことが、なかなかうまくいかない、それどころか、途中で自分からそれを投げ出してしまったり、やる気がなくなったりしてしまいました。そして、そういう自分にも嫌気が差してきました。
もう自分の希望はいいや、とにかく何でもいいから働こう、何かに取り組もうと思っても、また少し経てば、このままこんな妥協した生き方でいいのか、もっと自分らしく生きるべきじゃないか、などといろんな思いに悩まされ、日々迷っていました。
その上、以前書いたような悩みの暴走によって、疲れきったような毎日を過ごしていたのです。
今思えば、先に書いた「自分を作り替えていこう」と思ったのが、ボタンの掛け違えだった、と思います。
当時の私にとっては、社会人生活を始めるにあたって、これからより良い自分に成長していこう、というのが当たり前の目標だと思っていました。ところが、それは本来の自分とは別に、また新たな自分の偶像を作り上げることになってしまいました。
本来の自分とは違うのに、意識によって自分のようなものを作り上げても、結果が良くなるか悪くなるかとは別に、どこか違和感を抱き続けていくことになります。
あのころの私もどこかで自分のやり方に違和感を抱いていました。何か根本的なところでボタンの掛け違えが起こっているのではないかと、どこかで気づいていました。
しかし、その頃の私は、「本来の自分」というものをよくわかってなかったのです。
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