好きな街シリーズ 第三回 今回は「蕨市」

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蕨は本当に小さい町。しかし人口密度日本一でもある


実は私は蕨市民でありながら蕨という字が書けなかった。最初蕨を「いばらぎ」「イワオ」と読んで友達に馬鹿にされたこともあった。

字が読めないので、カタカナでワラビ市と書いて手紙を出すと、相手から「ワラビー」と書いて返信されるというジョークにもならないような笑い話もあった。


私は蕨の塚越というところに住んでいた。実は住所は蕨なのだが、道の向かい側が川口市でほとんど川口に占領されていたような場所で合った。さながら欧州のズデーデン地方みたいな場所でいつナチ川口軍が占領されるかどうか??わからなかった(笑)

というのは冗談にして、実はあの当時ゴミは全て道の向かい側の川口市に回収してもらっていた。今やったら川口市から「税金払え」と言われそうなことだが、のどかな時代、蕨側からゴミを持ち込んでもゴミの回収員は受け取ってくれる。実は以前からさいたま市に川口も戸田も蕨も編入する計画があったがために、同じ兄弟同士というイメージがあったのだろう。結果どちらもさいたま市に編入はならず今も独立した市行政を保ってる。


蕨の良さはなんといっても終電が遅いところだっただろう。1時近く前まで南浦和行きの電車に乗れば家に帰れる。蕨の前は横浜市神奈川区片倉町に住んでいたので、電車の遅さは魅力的だった。(横浜市営地下鉄は12時すぎで電車がなくなる)だから都心で堂々と遅くまで飲めた。池袋で終電ギリギリまで飲んで家に帰ることも度々あった。


イトーヨーカ堂も2件あったので便利だった。車で少し走ればダイヤモンドシティというイオンのSCがあり、正直横浜より都会ではないか?と思ったこともあった。駅はごちゃごちゃしているがディープな店が多く駅前は栄えていた。また川口まで出れば大きなマルイがあるしそごうもあり生活には不便な点がない。スポーツジムも駅前に大きなのが2つあり毎日行っていた。


夏は浦和まで出ればロッテのプールがあるから泳ぐことが出来たし、いい環境だった。


ファイト餃子なんて住んでいた近くにあったのでよく友人と行ったかな?食べ過ぎで腹壊したことも度々あった。


難点は、家のマンションが私を除き全て風俗店が借入していたので夜3時過ぎになるとキャバクラの送迎車が止まり慌ただしく人が降りたことかな?時には風俗嬢とドライバーが喧嘩仕手うるさかった。よく夜中に目が覚める事が度々あった。


と言いながら2年はん住んでいたかな?なにせ家の周りになんでもあるのですごい便利だった記憶がある。50m圏内にコンビニが3店舗あり、ほとんどそこで賄うことができた。


そう、サブタイトルに「人口密度日本一」とあった。

とにかく家と家の間が狭い。10cmくらいしかないだろう。だからとなりの夫婦喧嘩なんて筒抜けだ。春になるとニャンコ達の大合唱が響く。うるさい。うるさいが仕方がない。要するに便利であれば何かを犠牲にしなければならないということだ。

それでも緑が少ないという感じはなかったかな?家の近くに中央公園があって散歩がしやすかったし緑はあったと思う。そんなに緑の空気が吸いたければ大宮とか所沢とか行けば山ほどオゾンが吸える。

ただ行政サービスは良くなかった。

図書館なんて小さいのが1つ。読みたい本が全くなく、本当に借りたい本を探すなら浦和まででなければならない。

市の役場の対応も投げやりだった。普通転入すれば税金が入ってくるから喜ばしいだろう。しかし転入のさい「あ、そこの書類書いて持ってきて」という感じ。なんか「仲間に入れてやる」という感じがした。横浜市の区役所の対応から見れば雲泥の差だった。当然横浜はお客様扱いだ。蕨単独ではなくさいたま市に編入された方がよかったかもしれない。川口の大企業、戸田の競艇のような税収入がないだけに頑張って欲しいところだ。


蕨に2年半住んで今度は成田空港PJというのが始まることになり、私は千葉県八千代市に引っ越した。流石に蕨から成田までは通えないということで(しばらく通っていたがひどく疲れたなあ)引越しを余儀なくされた感じだった。 


今考えると特徴がいまいち薄い町だったのかも。それでも住みやすさはずば一だったと思います。







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