好きな街シリーズ 第四回 今回は「上大岡」

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横浜の副都心でありながらどこから見ても横浜とは似つかない街、でも便利は便利。


上大岡の前を鎌倉街道が走っているせいか、どこから見ても上大岡は横浜より鎌倉のイメージが強かった。それだけ南に位置するのであろう。


私が上大岡付近(厳密には磯子区汐見台)に住むことになったのは86年春からである。当時は東京の小平市に住んでいたので原付に乗って引っ越してきた。


汐見台団地は山の上で上大岡から原チャリで登るとエンジンが火を噴きそうな感じだった。1年半同じ原付に乗ってとうとうエンジンがやられてしまいましたが。(笑)それだけ坂がすごかったのだろう。汐見台久良岐公園から上大岡市内を望むとまさに登山である。市内と富士山、ランドマークタワーと絶景である。


上大岡で思い出といえば

1.久良岐公園

2.中華味楽

3.イトーヨーカ堂

4.赤い風船

5.昔の上大岡駅


昔の上大岡駅はしょぼかったが食べ物屋飲み屋さんがあったあれはあれでよかったと思う。特に立ち食いのカレー屋は残業した後の夕飯で随分お世話になった。86年当時はダイクマや長崎屋などがあり今とは全然街並みが違っていた。あんな京急デパートなんかなかったし鎌倉街道沿いはそれなりな町並みだったと覚えている。


その中で覚えているのは洋酒バーの「キャッツ&ドック」かな?洋酒しかないのながいろんな世界中のお酒があった。私の友人は大の酒好きで昔は客船のバーテンダーやっていたので平気で高い酒(オールドパー16年もの)とは頼んで、「お前贅沢しすぎだな?」と心配したことがある。


そんな私も一番の思い出は上大岡からインドの旅行へ旅立ったことだ。あの暑いインドから上大岡に半年後に戻った時は涙が出るくらいショックだった。なにせインドで1日200円で生活していたのだが、上大岡で居酒屋に入ったら1人3,000円!!(実は安いのだが)これインドの何日分や!!


当時日本円は今と同じくらい1ドル=120円くらいだった。まだ日本より物価の安い国があったのだ。


あとショックとしては、飲酒運転で汐見台にて警察に捕まったことかな?泥酔でバイクに乗り検問突破し磯子を一周した時にパトカーに囲まれ御用!!しかしその後関下の交番で涙と土下座を繰り返し、警官に飲酒⇒酒帯にしてもらった。あの時の土下座の光景はまさにあの「西宮市議の・・・君」のような芝居だった。(笑)これで釈放してくれたのだからあの頃はバブル前まだのどかな時代だ。今なら一発で豚箱入りだったろう。


京浜急行は早くて好きだった。特に横浜~京急川崎のJRごぼう抜きは最高にスリリングだ。心の中で「もっとやれ!!」と叫んでいた自分がいた。快速特急の前面でとにかく興奮していたのだ。しかしだ、快特が止まらなかった京急蒲田で全ての列車が止まるようになりつまらなくなった。羽田線は便利になったけれどね、京急の暴走特急ブリは本当に快感だった。


あと上大岡で思い出すのはロンドンというキャバレーだった。友人の外国人が入りぼられたなどで苦情がありよく確認しに行ったっけ。なんで入るんじゃー、ヤクザばかりの店に、と思ったことがある。


今でも上大岡によく行くが、たまには上大岡の中華味楽のラーメンが食べたくなるのです。ほんまです。(笑)








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