生まれて23年たってやっと自信を持つことができるようになった女の話

著者: 桃香 佐藤
私が生まれた日
私は3人兄弟の長女として生まれました。私の母は私を生むとき子宮が2つあるのを知らず陣痛促進剤を使っていたため帝王切開に切り替えた時出血が止まらずこのまま止まらなければ子宮をとるしかなくなるかもしれないと言われていたらしいです。結果的には平気だったみたいですがそうでなければ弟は生まれて来なかったと思うとそうならなくてよかったと思います。
私の最初の試練
私はかなりのO脚でこのままだと歩けないかもしれないと言われていたらしいです。しかしそんな私を祖母が毎回のように病院に連れていってくれたおかげでなんとか直りました。本当に祖母には感謝です。 
幼稚園入園
わたしはこの頃から徐々に喘息の症状が出始めていました。そして、逆さまつげにもなり初めての手術を経験しました。正直かなり怖かったですがその後も2回ほど逆さまつげで手術をしました。でも看護婦のおかげで少しは不安が和らぎました。
小学校
私の小学校の思い出は悪いことしかありません。2年生の時にはバイクに轢かれるしいじめにはあうし、6年生の時には手の小指が短いとばかにされ笛も吹けなくて辛かった。その上に4年生の時ぐらいには喘息で体育も出来なくなり性格も内気になっていきました。毎日図書室にいってひとりで本ばかり読んでいました。
中学校
中学校でも毎日のようにいじめを受けていました。この頃には何度も死にたいと思っていました。それでも乙武さんの五体不満足を読んでこんな障害があっても強く生きてる人がいるのにいじめなんかで自殺するなんて考えちゃいけないと自分をはげましてなんとか生きて来ました。
高校
私はここでやっと体育ができるようになり少しは社交的になったかなぁと思います。でも体育の時間は嫌いでした。なぜなら私はそれまで体育をやっていなかったのでもちろん他の人より下手くそでなにをやっても上手く出来なかった。そんな私は練習相手にならないと仲間に入れてもらえず先生としか出来なかったからです。私だって頑張ってるのに何でなんだ?練習したいのに先生が時間なかったら練習出来ないじゃん。練習しないと上手くならないじゃんと正直思っていました。
看護学校
私は夢だった看護師になるため看護学校に入りました。むいていなかったのに入りました。結果私はもともとむいていなかったうえに努力も足らず退学しました。 
初めての就活
私は看護学校をやめたあと医療事務の資格を取りました。だからその資格を生かして仕事を探そうとしました。しかし未経験ということはがりで採用されない日々が続きました。しかしそんな風にいつまでもぶらぶらしている訳にはいかないと思い医療事務は諦めて違うところに就職しました。しかしそこはかなり忙しくさらにノルマがあり私は努力したのにとろくさいと言う理由でクビにされました。
2回目の就活
クビにされた私はまたあきらめた医療事務の仕事を探そうとしました。しかし今回も前回同様不採用ばかりでした。そして、また諦めて違う職業を探しました。しかしそれでもなかなか見つからず毎日落ち込む日々が続きました。そして私は使えない人間なんだ誰からも必要とされていないと悩み就活も辞めようと思っていました。でも諦めたらそこで終わりだと家族に励まされダメ元で近所スーパーのレジに応募しました。正直向いていない仕事だと思っていたのでほとんど期待していませんでした。しかし面接に行くと終わったあとその場で採用と言われました。正直夢かと思いました。
採用から1年の現在
あれから約1年、周りのみんなより遅くてクビになりかけたこともありましたが店長が長い目で見てくださりなんとか2年目の契約ができました。こんな私ですが向いていない仕事だと思っていたこの仕事で2年目に入れるということはとても自信になりました。これからも長い目で見てくれた店長に感謝しつつ店長の顔に泥を塗ることにならないように努力していきます。
長い話になりましたがこれで終わります。

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