セブの高校でいろいろ考えた(仮題)ー日本語教師なのに、なぜか机は保健室ー第1話:はじめにー世界をほんの少しだけ理解することで得られるものー

後編: セブの高校でいろいろ考えた(仮題)-日本語教師なのに、なぜか机は保健室-第2話:なぜか机は保健室-セブ生活はこの机から始まった-

これから紹介していくのは、日本語教師としてフィリピン中部、セブ市内のダウンタウンにある高校で働きながら考えた「ことばの教育」、「日本やフィリピンの社会のこと」、「社会の中で生きる人たちと私」についての話です。

26歳のとき、「好きなことしかやらない」と決めて、日本語教師になりました。それからタイで6年間、フィリピンで3年間日本語教師として働き、今年で40歳になります。大学時代はインドネシアをぷらぷらしてましたから、20歳過ぎてからの20年の半分である10年を東南アジアで過ごしたことになります。

そして、去年からは約14年ぶりに日本で働いています。自分が属する社会から出て、異なる文化を持つ社会の中で暮らし、再び自分が属する社会に戻ったときの不適応状態を「逆カルチャーショック」とか「リエントリーショック」と呼ぶそうですが、日本での生活も約1年が過ぎ、このショックからも立ち直りつつあります。

この不適応状態をそれなりに楽しんだ1年の暮らしの中で、日本の社会などを見る目も以前とは変わったように思います。あるいは自分の見る目が変わったというよりも、社会の方が急激に変わっていっているのかもしれません。

そんな中でずっと考えていることがあります。

私たちの社会はどのように形作られているのか?これから、どのように変わっていくのか?その中でどのように生きていくべきか?すべての人が楽しく生きていくために、どのように社会と関わっていくべきか?

今でもそうですが、セブにいるときも日本から流れてくるニュースは、いじめや虐待、自殺や孤独死など暗いものが多かったように思います(ニュースというものはそういうものなのかもしれません。でも、それにしてもです)。フィリピンよりも「豊か」だと考えられている日本で、なぜこのような悲しい出来事が多いのでしょうか?私たちはいつから、どのように間違ってしまったのか?私たちはフィリピンの人たちよりも本当に「豊か」なのだろうか?

もちろん、フィリピンにもいろんな問題があります(ある側面においてはありすぎるほどに)。しかし、その一方で何が起きたとしても毎日を楽しんで生きていこうというしなやかな笑顔と心の余裕があることも確かです。ここからは私たちが学ぶべきことがたくさんあると思うのです。が、やっぱり問題に対して語られる処方箋は日本をはじめとした先進諸国の「成功事例」であるわけです。

そんな中で少なくとも日本のニュースを見ている限りは先進諸国の「成功事例」が最良の処方箋であるはずがないと思うようになりました。では、私たちは日本やフィリピンの社会、あるいは世界を覆いつつある問題に対してどのような処方箋を考え出していけるのか?そして、日本語教育はじめ、「ことばの教育」はそれらの問題に対し、どのように働きかけていくことができるのか?

セブの高校で日本語教師をしながら、このような思いを持つようになり、帰国して1年が経った現在、それがやや具体的な姿となって、自分の中で像を結びつつあります。

こんなことを考える上で重要だったのが、勤務校での自分の机が保健室にあったことでした。ここでは、教室の中で日本語を教えているだけでは決して会うことができなかった人にも会えましたし、日本語教師としての視点からは見ることができなかったセブの人たちの生活を垣間見ることもできました。

はじめはびっくりしましたが、今思えばとても幸運なことだったと思います。

ただし、これから紹介する話は、海外経験をもとに日本の社会に対して一方的に意見を投げかける、というものではありません。そうではなくて、日本の社会、そして世界はなぜこのようになっていて、どのように関わっていくかについて納得できる自分なりの答えを見出したいという心の動きを綴ったものです。こういう意味では、ある出来事をきっかけに何かを考えることは、世界のどこにいても営みとしては同じ行為だと思います。

ただやっぱり自分の机が保健室にあったことは、私にとっては刺激的なことで、何かを考える良いきっかけにはなりました。はじめは理解不可能であったことが、相手の視点から世界を眺めることで、それを理解することができ、気がつけばその視点から世界と自分自身を眺めている。

自分はどのような価値観を持っていて、それはどのように形作られてきたのか。セブの高校の保健室で考えた末に、理解を試みたのは実は他者とその社会のことではなくて、自分自身とその社会の成り立ちについてだったのかもしれません。

当たり前のことですが、自分と全く異なる価値観で世界を眺めている人はいるものです。解釈の多様さという意味でも世界はとてつもなく広い。それは単純に多様さという耳当たりの良い表現を突き抜け、時には不快感や嫌悪感を覚えるほどに。でも、そんな世界をほんの少しだけ理解することで得られる拡張感は、人をより自由に、そして豊かな存在にしてくれるのではないかと思います。

これから紹介する話を読んで、少しでもこの拡張感を実感していただけたら、これ以上の喜びはありません。

それでは、セブにある高校の保健室から眺めた情熱と混乱、懐かしさと泥臭さ、喜びと悲しみ、貧しさと豊かさがぐるぐると渦巻く世界についての物語を始めたいと思います。

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セブの高校でいろいろ考えた(仮題)-日本語教師なのに、なぜか机は保健室-第2話:なぜか机は保健室-セブ生活はこの机から始まった-

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