憎しみ続けた父からの電話。人として、もっとも大切な感情とは何かを知った話。
私は、なんてちっぽけで弱いんだろう。
父の長年の苦悩に比べれば足元にも及ばない。
見れば、母も泣いていた。
母として、そして妻として思うところがあったのだろう。
「もういいよ。こっちは普通に暮らしてるし・・許すよ。」
― 許す ―
これほど難しいことはない。
「許すこととはすなわち愛すること」
愛せないと許すことなんて出来ない。
愛とは、すべてを包み込む優しさ。
どこかで学んだ気がする。
父は最後に、知人宅に身を寄せていることを告げ電話を切った。
電話の向こう側に、父以外の人の気配を感じた。
私は父との会話を思い出し、ふとあることに気付く。
女の勘というものだ。
「このままではいけない。」
母に真実を確認せねばならない。
家族として、娘として、これから母が幸せに生きるために、最善の選択をしてほしい。
それがどんな結果になろうとも・・。
■別れるという選択
女の勘といえば、何が思い浮かぶだろうか。
おそらく大半の人は「浮気」「不倫」など、よからぬ思考を思い浮かべるであろう。
人の思考などいつまでも同じ場所に縛り付けておくことは出来ない。
頭では理解しているが、言葉にするのは気が引ける。
父には、母以外に何年にも渡って愛する人がいたのだろう。
母も気付いてはいたが、当時は父が恐ろしく問い詰めることさえ出来なかった。
病弱だった母は、女手一つで育てることに不安を覚え、せめて娘が成人するまではと耐えてきたのだ。
そんな母に真実を問うのは、あまりにも酷すぎた。
母は「やっぱり気付いてたのね・・。勘が良いから、すぐ気付くと思ってたよ。本当に仕方ないね、父
さんは。」
そう言って、罰悪そうに少し笑うだけだった。
複雑そうな顔の裏に、悲しみが見え隠れしていた。
その後、父と母は離婚した。
たった一枚の紙きれで、30年続いた夫婦はあっけなく他人に戻るのである。
生まれてから死ぬまで、人は紙切れによって人生が決まるのかと思うと、我ながら切なくなった。
■父との距離
離婚後も、私達は少しずつ父と連絡を取り合っていた。
しかし、兄だけは徹底して父と繋がることを避けていた。
「当分許す気はない。」と言った彼なりの苦悩があるのだろう。
彼の心だけは、傷が癒えるまでに少し時間を要するのかもしれない。
離婚から半年程たったある日、父から再婚した旨の手紙が届いた。
やはり、女の勘は当たっていた。
そもそも何故こんな手紙をよこしたのか?
塞がりかけた心の傷が少しだけ痛む。
だが、これ以上父を縛る必要もない。
私達は家族としては正常に機能出来なかった。
これはしっかり受け止めなくてはいけない事実だ。
しかし、老後の父の楽しみが、新しい家族であるのならそれはそれで良いことではないだろうか。
自分自身の心境の変化に戸惑いつつも、私はどこか清々しい気持ちでいた。
■その後の私達
父は新しい家庭で子供に恵まれ、現在第二の子育て真っ最中だ。
母の病は知らせたが、母の意向もあり面会に関しては一切断った。
すでに家庭を持っているので、葬儀に関しても知らせずに後日電話で報告した。
葬儀に出て欲しい半面、奥さんや子供に気を遣ったというほうが正しい。
以前までは、私の父だった。
今は生まれた子の父なのだ。
血を分けたとはいえ、私と兄は既に成人している。
生まれた幼子に愛情を注いで欲しいというのが当然だろう。
私も子を持つ親の立場になり、改めて両親の偉大さを知った。
その頃から、父に対し感謝の気持ちが強くなった。
今では月並みだが、連絡を取り合い近況報告をしている。
歳の離れた妹とまだ対面したことはない。
父には今度こそ壊さぬように、新しい家族を大切にしてほしいものだ。
最初の記事で書いた父の恐ろしさ、今回家庭を持ったこと、読んでいる方からすると私の感情に納得が
いかないかもしれない。
私も納得はしていない。
しかし、この感情も家族であった証なのだと解釈している。
愛とはすべてを包み込む優しさ、私は愛が成り立つ過程を体現したのだ。
そう考えるのは、少し大袈裟だろうか。
自分以外の人の幸せを願うこと、それは決して悪いことではないはずだ。
許すことから愛を学び、それを子や孫へ伝えていけたらと改めて思う。
私のこの感情は、年老いて最後の時を迎えても、忘れることはないだろう。
人は愛とは何かを探し続けるが、答えはいつでも決まっている。
「その人のすべてを受け入れられるか」
人としてもっとも大切な感情を、私は父から教わったのだ。
☆最後までお読み頂き、ありがとうございました。
これからも、皆様の記憶に残る文章が書けるように、応援宜しくお願いします。
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