親父がテレビ業界のディレクターだったので、そのブラックっぷりを伝承して反面教師にしていこうと思った件
先日のフジテレビ27時間テレビ、「テレビの時代はもう終わり!?」というキャッチフレーズで物議を醸したようですが、テレビの時代真っただ中はどんなだったんだろう…というお話です。
自分の親父は絵に描いたようなTVディレクター
多分、イラストレーターとかに「TVディレクターさんのイラスト描いてください〜」といったらそのまんま同じのが出てきそうな風貌。
・グラサン
・上着を肩にかけるスタイル
・痩せ型でチャラい
・業界用語で話す
こんな人が一親等なわけです、家系図に乗るわけです。なんかそこそこ業界では有名なディレクターだったそうです。
そんな親父は私に「昔のTV業界の話」を小さい頃から沢山してくれました。
というか、父親との日常会話に業界用語が混じるんですよ。
これはマジで辛い。斜め上に笑う。「◯◯ちゃ〜ん、マジで〜?勘弁してよ〜」みたいな、そういうノリ。これが父親だと、違和感半端無いですからね、マジで。(多分言葉遣いは遺伝です)
そもそも小さなころから親父にロケ現場や、編集室に連れて行かれていた私は、テレビ業界の話は日常かと思っていましたが…。
今思うと、いやいやそれないんじゃね?という破天荒な話ばかり。
(というか小学生を徹夜明けのタバコ臭い編集室に連れてかせるってどうなんだという…)
これはまあ我が家に代々受け継いで子孫にネタにでもしてもらおうかなと思うわけで、ここに記したいと思います。
基本ヤべぇ奴らしか出てこない
コンプライアンスって言葉あるじゃないですか。 企業の法令遵守のアレですよ。
「昔のTV業界の話」にはそれがないです。
というか、真逆です。殴る蹴るが日常です。カオスです。
(今は知りませんよ!多分良くなってることでしょう…というフォロー)
というわけで親父に聞いたヤベエ奴等で打線を組んでみました。
1(中) 毎日ただひたすら日テレ最上階パーラーでUFOの出現を待つディレクター
2(二) コネで東京スタジアム借りて、番組経費で草野球する野球好きのプロデューサー
3(三) 給料日に給料払わないで文句言ったら「先月やったろ?」の一言でキメる制作会社社長
4(一) 司令室でスイッチャーと殴り合いして番組止める暴力ディレクター
5(遊) 電話クレーム対応中「おたくの家チャンネルあります?だったら変えてください」と言い放つディレクター
6(右) 2千万かけて徳川埋蔵金掘って茶碗の欠片発掘しただけの企画練ったディレクター
7(左) 金持ちすぎて金銭感覚無くして経営が悪化しても「融資で大丈夫っしょ〜」というボンボン
8(捕) 小学五年生の男子と付き合って!と口説く女性ディレクター
9(投) 子どもの授業参観で、現場をドタキャンし当日入ったばかりのADに現場を全部仕切らせたディレクター
なかなかの布陣ですね。
昔は制作会社なんて無かった?
今ではキー局と制作会社の下請け構造〜…なんて言葉はよく耳にしますが、今から約40年ほど前、昔は制作会社はほとんど無かったそうです。
各テレビ局も10年間ほど新人をほとんど採用しておらず、テレビ番組のディレクターを志す人にとっては狭き門だったそうです。
ところが10年間も新人を採用しないと、番組制作部門にアシスタント・ディレクター(AD)が足りなくなりました。
そこでテレビ局は、社内に(今でいう子会社)AD専門の会社を作りました。しかし、そこの会社の採用もほとんどコネか知人の紹介。昔から、どうも閉鎖的な業界であったことは間違い無いようです。
また40年ほど前ということで、テレビ業界も労働組合の力が強くストライキが多かったそうです。管理職が現場に出てきて、テレビ局の組合社員はストライキ、そしてADは別の会社で労働組合では無いので、放送は出来ていたと…。
ADの会社自体がストライキをやるという噂が出た時は、社内が騒然。
なんてったって局社内にADはいません。10年間採用していないのだから…!
説得で事なきを得たようですが、ADの業務範囲は広く、雑務と事前準備は全部ADが支持される前に段取り、ディレクターは演出のみ考えて現場を仕切っていたということです。
こういう話を聞く度に自分は「現場」の大事さを痛感します…。
ADは休みもなく、おまけに安いギャラ…ADの会社が中間搾取…。
ギャラの封筒は分厚いで期待すると、中味は千円札が50枚。せめて両替してやれ。
親父の廻りの友人は、青春を謳歌して遊びまくっていたので、今、遊ばないと一生、遊べないなと思い2年ほどで辞めて、親父は今でいうフリーターになったそうです。
ああ〜このへんの親父の思考回路のクズっぷり、私に遺伝しています…。きっちりと血を受け継いで高校中退してしまいました。(今はまともに働いていますが…)
そんな、ある日…AD会社の社長さんから電話が有り、もう一度、仕事をやらないかと誘いがあり、しかも、ディレクターでとのことだったので引き受けたらしいです。
ただその会社も、なかなか凄くて、とある給料日に


の一言で片付られてしまうような会社だったそうです。これ給料じゃなくて最早小遣いじゃねーか!どうりでビンボー家庭だったはずだ!
ここから先はそんなディレクターになったあとの親父の話です。
殴る蹴る!世紀末すぎる現場
40年前のテレビ業界、現場はまさに 世 紀 末。
闇と暴力が支配しているのでは…というレベル、自分のような軟弱な若者が生きていけるとは思わない…!
特にすごいのが4番ファーストの暴力ディレクター。
この人、ちなみにかの有名なテリー伊藤氏だそうです。
ってなことは親父に「書くなよ!書くなよ!」と言われたのですが、まあ業界人特有のダチョウ倶楽部的ノリと認識しているので、実名で行きます。
あくまで親父から聞いた話です!
…という意味ではノンフィクションなのです。あくまで聞いた話なのです!(二度書く)
当時とある番組で、上から動画を撮る必要があったらしく、クレーンカメラ(クレーンでカメラを釣って、上下に移動できるシステム)を導入しようとしたそうです。
…しかし、さすがに予算オーバー。
クレーンは入れられず、天井にただ骨組みで組んだだけのカメラを用意することが、全体の合意のもと決まりました。
そんなことは当然皆承知で本番、サブコントルームからテリー伊藤氏

現場全員仰天である。
そもそもクレーンカメラがないのである。

サブコントルームにいるスイッチャー(画面を切り替える人)も「えっ!」となって、仰天。
クレーンがついてないのに、クレーンダウンなんてそもそも物理的に不可能。
…そして現場がザワついている中、急にスタジオのモニターが突然真っ黒に。
当時はほぼ生放送に近い形で進行していた、といえばこの事件っぷり、わかるでしょうか?
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