もしかしたら、母は中国残留孤児になっていたかもしれない・・・。戦後の満州から幼子を連れて日本に帰国した祖母の話。今、私がここにいることの奇跡。5話
季節が冬に近づくにつれ、難民達は外で休憩を取るのが難しくなっていった。
まともに食事を取ることも難しく、彼らはいつも飢えていた。チヨと二人の子供達も、みるみるうちに痩せていき、子供達は手足が細く、腹だけがぷっくりと出て目が妙に大きくギョロギョロしていた。
チヨは時折、小銭や食べ物を手に入れる為、立ち寄った村や町の中国人宅で小間使いをしていた。身重の体で一日中、外で洗濯仕事をさせられるのは辛かった。それでも、わずかな手間賃で二人の子供に何かを食べさせてあげられる事を思うと、歯を食いしばって耐えるしかなかった。また、いつも手間賃を貰える訳でなく、散々チヨをこき使った後、一銭も払わずに蹴り出される事もあった。
そうやって、グループのほとんどの女性達が外で働いている間、子供達は廃屋や納屋に閉じ込められ、人攫いなどが入ってこられて無い様に厳重に囲いをされていた。
ある日、チヨが仕事から帰ってくると、どこから這い出してきたのか、長男のきよしが外に出てるのが目に入った。その近くを中国人たちが芋を口にしながら歩いている。『プッ』っと一人の男が芋の端を吐き捨てた。きよしは一目散で走って行き、その捨てられた芋の端を拾い口に入れた。その姿が滑稽に見えたのか、中国人たちは笑い冷やかしながら、次々に芋の端くれを吐き捨てた。きよしは中国人たちに蹴飛ばされながらも、必死に這いつくばって芋の端を口に入れていた。
チヨはわが子のそんな姿を見て愕然とした。
救いようのない絶望感、チヨは声を上げて泣き崩れた。
しかし、絶望ばかりの日々だけではなかった。また、ある日の夕方仕事を終えたチヨがトボトボと帰り道を歩いていると、一人の男がチヨに近づいてきて
と片言で尋ねて来た。(※ 苗字は仮名です。)
チヨは驚き、恐る恐るうなずいた。
彼の服装は中国人そのものであったが、片言だが話す言葉とその発音で中国人でないことがチヨにはわかった。彼は黙ってお金を取り出し、にぎり飯と一緒にチヨに渡すとすぐにその場から立ち去ろうとした。とっさにチヨは夫の安否を尋ねてたが、彼は日本語がわからないとでも言う様に首を横に振った。チヨはもう一度、今度は中国語で尋ねてみたが、彼は一言も話さずに去っていった。
もし、仮に彼が元日本兵であるとするならば、彼は自分の身の危険を顧みずチヨを探して援助してくれた事になる。それは涙が出るほど有難い事で、彼のような行動を起こしてくれた寅清の人望の厚さを感じた。
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