もしかしたら、母は中国残留孤児になっていたかもしれない・・・。 戦後の満州から幼子を連れて日本に帰国した祖母の話。今、私がここにいることの奇跡。7話

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長春付近までやっとの思いで辿り着くと、ここで初めて鉄道を使った。

鉄道を使ったといっても、切符を購入して乗車したわけではなく、囲いのないトロッコに飛び乗っただけである。長春から吉林省までの移動の情景は唯一きよしが旧満州生活の中で記憶に残っているものである。

きよし
満鉄と呼ばれた鉄道のレールは太く、トロッコはものすごく速く感じた。振り落とされないように必死でしがみついていたが、風がものすごい勢いで顔に当たって、息も出来ないほどだった。

チヨはおそらく長春で多くの日本人避難民と接触し日本への引き揚げ船の情報を得たと思われる。


昭和二十一年七月前後を境にして旧満州移住者であった日本人の日本への引き揚げが大連港で開始した。


チヨはただひたすら日本へ帰るために必死で歩き続けた。黒龍江省から大連までの距離は直線にしておよそ日本の青森から大阪までの距離となる。しかも、黒龍江省の位置は北海道より北に位置しているので、真冬の季節は想像を絶するような寒さであったに違いない。その道のりの殆どを約一年半かけてチヨ達は歩き続けた。

大連港の最後の道のりでは、子供達は自力で歩けなくなっていた。水筒一本でさえ首にぶら下げられない程、二人は衰弱していた。

チヨは両手に子供達の襟首をつかみ、背には、まさ枝を、首にはオムツを洗う桶をぶら下げて歩き続けた。港に停泊している船の姿見えてくると引き揚げ者達は我先にと走り出した。しかし、チヨには二人の子供達が足枷となって思うように前に進めず、周りの人たちに次々に追い越されてしまう。

襟首をつかまれ引きずられて歩く二人の子の顔色が赤く変わり苦しそうになったら離し、休み、またつかみ引きずり歩いた。


埠頭にいた元日本軍人がチヨ達の様子に気づき、あわてて二人の子供を抱えて船に乗せてくれた。他の元軍人たちは皆、チヨや引き揚げ者に向かって敬礼して出迎えた。

チヨが乗船したのは最後の方で船内で背がもたれられる隅の良い席はほとんど無かった。

仕方なく、真ん中あたりに腰を下ろしたが、出航後のゆれがひどく、二人の子供たちはあっちにころころ、こっちにころころと落ち着いていられなかった。

しばらくすると、引き揚げ者達に、すいとんが配られた。

チヨは、その温かな食べ物を口にして、ようやく、我に返った。

周りの人たちも皆、同様に思ったのか、突然、何人かの女性が二人の子供を見て抱きしめ、声を上げて泣き始めた。周囲は重く静まり返った。この女性たちの話によると、彼女達は避難途中で子を失ったり、中国人に預けてしまった母親達だった。子供一人さえ連れてこられなかった母親達がいる中で、チヨが三人の子を手放さずに連れて帰れたことは奇跡としか言いようがない出来事だった。


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