僕の名前も忘れ、100万人に1人の難病を患った妻と僕の物語

2 / 4 ページ

僕の方をじーっと見ているのである。

「ん?どした?」と聞いても返事はない。



すると警察の方から、

「交番の前で倒れていて、通りすがりの人が交番につれて気てくれました。

 自分の名前がわからないみたいです。」と衝撃の事実を聞く。



そんなことありえない。冗談だろ。

と思いながら、僕の名前を尋ねてみるが首をかしげる。



どうやら本当に冗談じゃないと、僕も分かってきた。

とりあえず身分証明書を提示したりして、

妻を連れてマンションへ帰ることができたが、

妻は「どこに連れて行かれるのだろう?」という顔。




家に戻っても、1時間前まで居た家を「見覚えがない。」と。

「僕と君は結婚していて」と伝えると、

「子供はいるんですか?」と妻が言う。



あれだけ毎日可愛がっていた子供も忘れている。




僕は事態が完全に飲み込めていなかった。

本当にあの夜は夢のような感じがした。





次の日起きて僕は祈るようにして妻に聞いた。

「何か思い出した?」





妻は首を振る。

そして僕に敬語で話す。

「すみません。」




インターネットで症状について調べまくった。

どんな病気でどうすれば治るのか。




解決事例も少ないので、


3日で治るというものもあれば、1年はかかるというものある。

そして、「一生治らない」というのもあった。



たまたま僕は社会福祉の経営をしていて、

僕は知識がなかったが、職員が知識を持った方ばかりであった。

その方の知り合いにあたってもらった。

幸運なことに、心理学を専門としているお医者さんが知り合いにいた。



そして衝撃の事実を宣告された。

「治るのは、早くても1年。それ以上かかることも。

 そしてストレスの原因になったところから離してあげて下さい。

 できれば住む場所も変えてもらって、発症となった場所から離れた方がいい」と。




僕は頭が真っ白になった。


子供の抱き方もわからない。

母乳の与え方もわからない。

おむつの換え方もわからない。

洗濯機の使い方もわからない。

自分の親兄弟もわからない。

僕の親兄弟もわからない。

家のどこに何があるのかもわからない。


僕が全部妻から教えてもらったはずなのに、

それを妻に全部教えている。不思議な感じだった。



それと同時に、

ほとんど僕は妻の介護の状態であった。




僕はたまたま自分でビジネスをしていたので、

スタッフに事情を話して頭を下げて、一週間お休みを貰ったので、

この一週間で何とか記憶がよみがえってほしい!

そう願っていたのだが、なんと一年もかかる。



そして、この介護のような状況が1年続く。

僕はこの1,2日間で疲労困憊になっていたのが、

これから一年も続くと思うと、自分がおかしくなってしまうんじゃないかと

とてもとても不安になった。




それでも僕は、

自分に都合の良い「3日で治った」というネットの情報だけを信じ込み、

この一週間で治ると信じきって、妻に接しようと心に決めた。

というよりも、自分の精神状態を保つには、そう思うしか無かった。

本当に現実を受け入れると気がおかしくなって

自分が自分じゃなくなってしまう感じがした。





そしてこの数日間は、本当に生きた心地がしなかった。




こんな風にしてしまった妻に申し訳ない。子供にも。

何とか記憶がよみがえって欲しい。

これからの人生をどうしていこう。

著者のほー りぃさんにメッセージを送る

メッセージを送る

著者の方だけが読めます

みんなの読んで良かった!

STORYS.JPは、人生のヒントが得られる ライフストーリー共有プラットホームです。