僕の名前も忘れ、100万人に1人の難病を患った妻と僕の物語
「おー、思い出した?!」って聞くと「?」という顔をする。
「俺の名前は?」と聞くと、いつもの呼び方をしてくれる。
本当に嬉しかった。あの時は人生で一番くらいうれしかったかもしれない。
親の名前もわかる、生まれた場所もわかる、生年月日も
そして、子供の名前もいつもの呼び方をしてくれる。
僕は何度も妻に「ごめん。」と「ありがとう。」を繰り返していた。
1年かかると言われていた症状を、
5日で治すことができた。
これは僕がこの5日間、妻にしてきたことに対して、
妻自身が「今のこの人なら大丈夫だろう。」と思って戻ってきてくれたのだと思う。
記憶がなくなるくらいストレスを抱えさせ、
全く気の回らない旦那を許してくれたのである。
今でも頭が上がらない想いである。
それから、僕は毎日19時までには帰るようになったし、
土日は、妻と子供との時間を過ごすようにしている。
洗濯ものを回したり干したり畳んだり、掃除機もかける。
料理は出来ないので任せっぱなしだが、皿洗いはする。
今までの自分なら、「それは妻の仕事」という意識だったが、
そんな考えも無くなり、今の妻がいてくれるのであれば全然できる。
当たり前の幸せに気づけるようになった。
そんな5日間であった。
あの時の気持は忘れてはいけない。
いつもケンカしたり、けなしあったり無視したりするけれども、
二人は好きで一緒になって、悪いとこだけじゃなく
目を向ければ良いところの方がもっとたくさんある。
そして、積み上げてきた2人の思い出もたくさんあることを教えてくれた。
妻が自分の身を削って教えてくれた。そう思っている。
本当にありがとう。心の底から感謝している。
せひ日常の当たり前が、当たり前じゃないことを知って欲しい。
もし、自分の大事な人が記憶をなくしたら?
そう思えると、恥ずかしがっていた愛情表現もできるし、
感謝の言葉も言える。
今ある日常は当たり前じゃない。
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