1:今日からお前は富士山だ!
静岡県富士宮市へやってきた。
そこでやっと富士山を拝むことが出来た。
「俺そう言えば生まれて初めて富士山見たな。。。」
本や、雑誌、テレビなどで完全に見た気になっていた自分がいた。
世の中のものほとんどがそんな風に見た気になってるものばかりなんだな。
景色は特に人によって捉え方が全然違う。
ある人が
「あそこよかったよ!」
といっても自分には微妙なこともあるし、その逆もまた然り。
「人の意見に左右されず自分が見てみたいと思うものを見に行こう!」
富士山を眺めながらそんな事を考えていた。
それと同時にある思いがこみ上げてきた。
「登ってみたい。。。」
2:次がある保証なんてない
静岡県から山梨県に入り僕は悩んでた。
「富士山に登るか否か」
これまでの旅を振り返り、思った。
「またここに来る保証なんてない訳だし、やってみてダメだったら引き返せばいいやww」
その考えが安易だった事に後々後悔する。
そして僕は富士吉田口から登山を始めた。
全然知らなかったんだが富士登山は5合目から出発するのが一般的である。
もちろんそんなこと知らない僕は
「ここまで歩いてきたんや!直通バスなんて使ってたまるかい!」
というわけで一合目からスタート。
しかし、一合目ってどこだ?
目印があるんかいな?
しかし歩けど歩けど何もない。。
一時間ほど歩いた時に「中ノ茶屋」という店を発見。
「おお!これが一合目ってやつか!」
「自由に休憩してください」という看板を見て中でお店の方に話を聞くと
「ここは登山者の休憩場所で一合目はここから一時間半ほど登ったところですよ」
(゜ω゜;)マジカ
ちなみにここの標高は1100メートル
そして、一合目手前にあるお休み処に到着。
そこでとても気の良い方たちと話し、日本を回ってることを言うと、お菓子や差し入れ、餞別などいただきホントに良くしていただいた。
さて、一~五合目は足場は悪いもののこれならいけるぞ?
と、かなり快調に歩いていた。
そして六合目。
は?
道がめちゃくちゃ急過ぎません?
富士山の地獄が始まった。
足が全く進まない。
道がもうロッククライミング。
20キロという完全に登山の用量を超えてるバッグ。
ありえない………
八号目を越えた辺りから寒さが酷くなってくる。
息は白く、掴まる手すりは冷たすぎて持てない。
「軍手でも買えば良かった…」
もう後の祭りである。
この八合目をすぎると
本八合目
↓
九合目
↓
山頂
となる。
この辺からもう日が落ちてしまい、当りは暗く、疲労と酸素不足が露呈してくる。
朝の九時に一合目を出発したのでもう10時間歩いてた。
本八合目を過ぎて異変に気づく。
「目がチカチカする……」
片頭痛だ。
僕は持病で片頭痛がある。
目の前がチカチカしてそれが治ると極度の頭痛がやってくる。
しかも息苦しい。。。
眠たくなってきた。。。
やばい高山病だ。。。
九合目に入ったころはもう意識が朦朧とし訳わかんなかった。
もう八時を過ぎて真っ暗。
回りには誰もいない。
五歩進んだだけで息切れして全然進まなかった。
ここまできたらもう行くしかない。
荷物を背負う時に重たくて何度も転けた。
八合目からは雨雲が差し掛かって、足元しか見えない。
雨も降ってきた。
「こりゃ死んだ………か?」
と思ったときに
「富士山山頂」の文字が。
「…………着いた。」
続く。
3:富士登頂から下山まで
続き
登頂して、とりあえずこの寒さをしのぐためバッグから防寒着をとりだし、着替えることに。
そのあとインスタントラーメンを食べようと思い、作ったのだがこれが寒さですぐ冷えてしまいあまり美味いものとは言えなかった。
この時間お店はどこも閉まって休憩する場所もなくずっとウロウロしてた。
体が冷えてきてしまい、ホントにマズイと思ったので、トイレに逃げることに。
中には、僕と同じように宿をとってなく逃げ込んだ人が三人。
「怒られるかもだけど、君も暖をとっていきなよー」
と言われちょっと申し訳ないながらも一晩過ごすことに。
ちなみにこの日の頂上の気温は
最高5゜
最低1゜
ということだった。
宿をとってないってホントにバカだなww
その方たちとポツポツ話していると、ドアを開いた。
入ってきてのはなんとアメリカ人!
しかも三人!
びしょ濡れだった彼らは
「オー、スミマセーン」
と言って入ってきた。
けして広いとは言い難いトイレに六人……
狭いな…
そうこうしてるとなんとまたアメリカ人が入ってきた!!
「イエー!!」
と言って迎えてた処を見ると団体で登ってきたのか?
かなりの数が入ってきた!
トイレのなかの数はざっと20人ww
もうみんな座ることは出来ずずっと立っていた。
今の時間は23時…
山小屋開くのって何時なんだろ……
頭痛は収まったものの疲労が半端なかった。
そして、0時を過ぎた頃一人の日本人が入ってきた。
?
この人様子がおかしい……
顔が真っ青で全身が異常なくらい痙攣してる……
高山病だ……
みんな急いでその人の座るスペースを作って毛布やらを被せてあげてた。
アメリカ人の団体のなかに日本人で通訳をしていた人がいてその人に
「君の持ってるのは寝袋?それ彼に貸してくれるかな?」
と言われ即行で手渡した。
なんでもっと早く渡さなかったんだろう………
しかしこの高山病の方、容態がよろしくない。
顔はどんどん真っ青になっていき、何度も嘔吐して異常なくらい震えてた。
最初にいた人が携帯で救護を求めたけど、いっこうに来る気配がない。
どうするんだ?
みんな不安で一杯だったと思う。
そんなこんなして3時を回った頃
山小屋が開いたぞ!
という知らせが入った。
後から聞いた話だけど、アメリカ人の何人かが、外に出て山小屋のドアを叩いて救護を求めていたらしい。
感動した。
「その銀マットも貸してくれるかな?」
と言われそれを使い、皆で運んだ。
山小屋の店員さんは冷静で慣れたもんだった。
そりゃそうか。
「大丈夫大丈夫!そんだけ吐いたら逆に気分よくなるから!心配いらんよ!」
やっと肩を撫で下ろすことができた。
疲れた……
「今日は一睡も出来なかったな……」
外が明るくなってきたものの暴風雨で御来光どころではなかった。
六時を回った頃、大分彼の体調も良くなって、介抱していたアメリカ人の何人かが立ち上がり
「それじゃそろそろ僕らは行くから」
と英語で言ってたんだろう。
僕も立ち上がり
「サンキューベリマッチ!」
と頭を下げた。
ん?
あれ?
団体で来ていたと思ってた彼らは別々に出ていくのだ。
通訳をしていた方に
「あの。。。皆さん団体の方じゃないんですか?」
と聞くと
「彼らとは初対面ですよー、僕はイタリア人の彼と二人で登ってきました。」
ハァ!?
言葉にならなかった。
なんという協調性なんだろう。
初対面の人々が、異国の人を息の合った連携で介抱するなんて……
もう涙がでそうだった。
残った人で話していると
「僕実は韓国人なんですよー。一応日本人のクォーターなんですけど」
マジスカ(゜д゜;;;)
三ヶ国語ペラペラでした。
「これも何かの縁ですから」
と言うことで、その韓国人と、イタリア人の二人と連絡先を交換した。
その時に三人で初めて登頂写真を取った。
バタバタして全く写真を撮る暇がなかったことをそこで知った。
そのあと僕は寝袋と銀マットを倒れた彼に貸していたので最後まで残ることに。
彼ら二人は少しして山小屋を後にした。
オオタさんというその方は体調も大分よくなり
「ホントにもうなんとお礼を言っていいか……ホントにありがとうございます!」
「いやいや、俺寝袋と銀マット貸しただけですから」
朝の八時。
外もかなり明るくなったので二人で下山することに。
下りながら二人で色々と話しをしていた。
介抱してくれたアメリカ人達のこと、僕の旅のこと、オオタさんの登山のこと。
話しているうちに八合目の吉田口と須走口に別れる場所に到着。
オオタさんは吉田口に、僕は須走口に行くためここでお別れをすることに。
「白石さん!ホントにありがとうございました!私もFacebook始めるので友達なってください!」
「いやいや、ホントに僕は何もしてないんでwwそれよりもこれからの下山、体調をよくみて気を付けてくださいね!」
そう言って握手をして別れた。
それからの下山は淡々としたものでほんとにあっという間に五合目に着いてしまった。
五合目の案内所の方と話しをしてると
「そんな荷物もって登山するのは救護の人くらいですよ、でもあなたならなれるかもね!」
なんて言われたりもした。
五合目からもバスが出ているが、勿論一合目まで歩いて下山。
もう膝が大爆笑だったw
それで終わりではなく最後に富士浅間神社へと足を運び
富士登頂出来たことのお礼と、素晴らしい出会いに感謝をして、今回の富士登山を終了することにした。
なんだか不思議な気分だった。
充実、快感、痛快、感激、感動そんな単語じゃ言い表せられないくらい。
ただ、自分が大きく一歩成長したことは感じることが出来た。
山登りって素晴らしい!
しかし体力ない人には登りも、下りも苦痛でしかないかもしれない。
でもそれ以上の何か得るものがあるはずだ。
それは素晴らしい景色、もしくは素晴らしい出会いかもしれない。
是非登ってみてほしい!
一生に一度くらいは登ってみてもいいと思う。


