【慶次郎】婚約と別れ。二度目の戦場。
はじめに
祖父の慶二郎の昔話を孫が残す為に書いています。最初のエントリはここ。
二度目の招集
既に一度戦場を経験して帰ってきた慶次郎に、二度目の召集令状が届いた。ちょうど婚約をしたばかりで、結婚式の準備なども進んでいた状況であったが、行かないわけにはいかないので集まることになる。
慶次郎は佐倉(多分千葉県佐倉市だと思う)で編成されて次の戦場へ向かうことになった。どういう言われか知らないが、佐倉の部隊は「佐倉の芋連隊」と当時呼ばれていたらしい。
別れ
慶次郎は付き添いに来てくださっていた伯父さんにこんな話をしたそうだ。





そうして婚約は一方的に破棄する形になった。
会話中の金筋というのは軍隊の階級を表していて、ようするにある程度人をまとめる側の階級の事(こちらで先ほど調べたら、伍長以上の階級のことらしい)。戦争では若い歩兵達の活躍がなければ勝つことは難しいということなのだろう。
この話を聞いた時は「周りには若い夫婦で泣いていたりする人達もいてな」という話をしていて「でも、そうやって残してきたものがある人ほど帰っては来なかったよ」と、言っていた。よく彼は自分を「悪運の強いヤツ」「憎まれっ子世にはばかる」と言っていたが、そうやって自分をいつも追い詰めていた人だったのかもしれない。
孫の贔屓目では、自分が他人を縛ることを極力拒絶する彼の生き方は好ましく、今の自分にもこういう部分が色濃く残っていると思う。
婚約者だった僕の祖母が見送りに来られなかったのは、祖父は東京、祖母は彦根にいるためだったそうだ。
後日談
当然祖父は二度目の戦場を生きて帰ってきて、祖父の帰りを待っていた祖母と無事に結婚している。
「もう嫁いでるだろうと思ってたら、待ってたって言うからさぁ…」
と、さも嫌そうに言いながらニヤッと笑っていたのは、いつもの照れ隠しだろう。
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