高速の料金所でマイカー出産した話 4(完)

前話: 高速の料金所でマイカー出産した話 3
著者: Sato Keiko

ダンナサンはどこに行った?

と思いつつ、私は次の陣痛を待つことしか出来ませんでした。

1度出産を経験しているので、“その時”がすぐそこに迫っているのが分かります。

座席に浅く腰掛けると、顔の横あたりにあった車のアシストグリップを握りしめました。


くるぞ、くるぞ、きた!

猛烈な痛みと連動して、体は再び、いきんでいました。

うううううううんんんんんんん・・・

頭が出た。

感覚で分かりました。でも、どうすることも出来ません。

手はずっとグリップを掴んでいました。


またくるぞ、くるぞ、きた!

うううううううんんんんんんん・・・

焼けるほどの痛みの後に、どぅるんと、下半身を圧迫していたものが出ていきました。

産まれた!!!!!


痛みから解放された私の頭は急に回り始めました。

赤ちゃん、大丈夫?

履いていたグレーのスウェットを下ろすと、赤く染まった中に赤ちゃんがいました。

そこでまた、あのテレビの内容が浮かびます。

専門家のいない所で出産した場合、どうしたら良いかを教えてくれていたのです。


『第一に産声をあげるかどうか。泣くことで肺に空気が入り、呼吸が始まる』

『もし泣かない時は、口の中に何か詰まっていないか確認する』

こわごわ抱き上げた私の膝の上で、赤ちゃんは「ほげぇ」と泣きました。

大丈夫、泣いた。

『濡れていると体温が下がるので、体を拭く』

破水で座席が濡れないように、持ち込んでいたタオルが何枚かありました。

それで赤ちゃんを拭き、乾いたタオルでくるんで抱っこしました。

まさか自分で取り上げるなんて・・・嬉しさも感じていた気がします。



あれ?そういえばダンナサン?

電話をかけると言って車を降りてから何分経っていたのでしょうか、まだ帰ってきません。


私はワクワクし始めました。

早く帰ってこんかなぁ、きっとビックリするわ。

そう思った時に運転席のドアが開き「救急車呼んだよ」とダンナサンがこちらを見ました。

私はニカッと笑って「産まれたよ」赤ちゃんを抱き上げてみせました。

その時のダンナサンの驚いた顔といったら・・・おかしすぎて忘れられません。


ダンナサンは後で言っていました。

自分がケータイでかけるより、位置を正確に説明してくれると思い、料金ゲートの係員の方に電話を頼みに行ったのだと。

でも結局、係員にケータイを使うよう言われて自分で119番したのです。

もしかしたら、ゲートには電話が無かったのかもしれません、確認した訳ではないので、分かりませんが。

それから、救急車が来たらどう誘導したらいいか等を係員と話したそうです。


私は、救急車の到着まで赤ちゃんが心配なので、助産院へ電話をし、生まれてからやったことを話しました。

何か他にやるべきことがあるのでは?と思ったのです。

「よくやったね、大丈夫、バッチリやが」

助産婦さんに褒めてもらえました。特番のおかげです。


遠くから救急車のサイレンが聞こえた時は、もう安心だと力が抜けました。


「通行券をお取りください」

それまで耳に入らなかった、ゲートの案内音声が聞こえます。

車の走り去る音、次の車が近づく音。

「通行券をお取りください」

ああ・・・私、料金所で出産したっちゃ・・・


やってきた救急隊員の方は、まだ胎盤が出ていない状況を見て、

「へその緒が繋がったままでは、車の振動で無理に胎盤が剥がれてしまう危険があるので、私は資格を持っていませんが、へその緒を切ります」

というようなことを言われました。

そして、へその緒を切られた赤ちゃんと私は、救急車で近くの病院へ搬送されたのです。



数日後、助産院の方が病院にお見舞いに来て下さいました。

陣痛が始まってから1時間だったことや、3回いきんだだけで生まれてきたことを話すと、

「3人目を生む時は、産院の隣りに住まんといかんね」

と笑われました。

とても大変だったけど、安産だったということになりますね。



これで、この話はお終いです。


でも、このまま終わると、ダンナサンのイメージが悪いので、ダンナサンの名誉のために書いておきます。

私が入院している間、一人目の時も二人目の時も毎日、赤ちゃんと私に会いにきてくれましたよ。

それから・・・

う~ん、あまり褒めるとこないかも・・・(笑)

いえいえ、現在サラリーマンで、家族のために汗を流してくれてます。

息子は、名前に“りょう”がついていて、

「料金所で生まれたから“りょう”とつけた」とダンナサンはよく冗談を言っています。



最後にオマケの話です。

息子は中2の夏、職業体験で、自動車ディーラーさんで働かせてもらいました。

学校が決めた事業所だったのですが、偶然にも、ワンボックスカーを購入したお店でした。

「ここで買った車の中で僕は生まれたんです」と店長さんに話したそうです。



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