夏休みの悪夢

大学1年目の夏になろうという頃、一人の親友マレクが素晴らしいアイディアを思いつきました。しかし、あの夏が終わった後だったら、このアイディアが素晴らしいと思わなかったでしょう。
 彼のアイディアは、早く単位を取るために、ブランチのキャンパスで統計学と会計学を受けるというものでした。それは、当時の私たちにとって合理的でした。というのも、マレクは早く卒業してマスターを取りたかったですし、私は3つのメジャーと1つのマイナーを取り、4年以内に留学をしたかったからでした。夏休みを返上してクラスを終わらせることは、自分たちのやりたいことをするために必要なことだったのです。
 しかし、後にこんなことが待ち受けているか予想もできませんでした。
 いろいろな理由で、マレクは周りに何もない場所のブランチキャンパスを選びました。そこは、農場に囲まれた、Mont Altoという小さな町で、スーパーも店もホテルも何もありませんでした。ただ農場だけが広がっていたのです。その場所はまさに、The Texas Chainsaw Massacre(http://goo.gl/oMLAl) のワンシーンのようでした。何か生活に必要なものを買いにいくときは、1時間程かけて運転し、また別の小さな町へ行かなくてはなりませんでした。
 たった一カ所だけ、私たちが見つけた住む場所は、老夫婦の家の2階でした。それぞれの部屋とキッチン、そして部屋の間にバスルームがありました。エアコンが設置されていないことに気づくまでは、その場所は2人で住むのに充分でした。それからの2ヶ月間は、どれほどエアコンがあることを当たり前に思っていたか思い知らされました。本当にうだるような暑さでした。
 さらに、インターネットのない生活がどんなものかも体験しました。なぜなら、そこにはインターネットもなかったのです。
 実際、クラスはなかなか面白く、楽しんでいました。Mont Altoには何もなかったので、クラスが一日のメイン行事でした。こうやって私たちは、日中にクラスへ行き、そして1時間かけて食料を調達しに行くという生活を続けていました。車を持っていたことが、本当に唯一の救いでした。
約3週間後、4時間ほどかかるメインキャンパスで大きなアートフェスティバルが開催される予定でした。たくさんの友達がそこへいくので、私たちはMont Altoから出ることができ、友達とも久々に会えることができるいい機会だと考えていました。ちょうど、友達もMont Altoにわざわざ会いに来ていたので、皆でそこまで車で行くことに決めました。

ターニングポイント

 その友達は私たち仲間の中で、運転速度が速いということで知られていました。周りに何もない、自然の中に大きく広がったジグザグの道、見晴らしのいい中に、私たちはいました。あの景色は、車のコマーシャルでよく見かける景色みたいなものだったと思います。私の友達の気分を邪魔する物は、何もありませんでした。
 コーナーにスリップしてさしかかった時、私はすごく楽しんでいました。それも束の間、何か悪いことが起きる予感がしたのです。彼が運転している間、私はパソコンで作業していましたが、何かがもうしまっておけと私に言っていました。パソコンを閉じ、それを座席の後ろに置き、シートベルトを締めました。どこかで交通事故があった時、シートベルトのせいで、鎖骨を負傷することが多いと何かで読んだことを思い出していました。私は、シートベルトが鎖骨の近くにないことを確認しました。
 次のコーナーで、予感通りの展開でした。私たちは全員、コーナーを曲がりきることができないとわかっていました。映画では、全員がそのシーンで叫びだしたります。しかし現実では、状況は全く異なっていました。全員黙りこくって、車が前にある木に時速128kmで近づいて行った時、そっと目を閉じて、自分の突然の死を覚悟しました。
 目が覚めたとき、その木は車の真ん中にありました。私はすぐに飛び起きて、車から抜け出そうとしました。ドアは木に押しつぶされていたので、蹴って壊そうとしました。やっとドアが開いた時、よろめきながら地面に足をつけ、すぐに骨が折れていないか、何か刺さっていないか確かめました。しかし奇跡的に、私は傷一つ負っていなかったのです。
 その後すぐ車に戻り、友達が大丈夫か確かめに行きました。運転していた友達は、車から出て来て、彼も傷一つ負っていませんでした。もう一人の友達は、ドアから這い出て来ました。彼も大丈夫そうでした。私が「大丈夫?どこも痛いところないか?」と聞くと
彼は不機嫌そうな顔で私を見上げて、「鎖骨折ったかも。」と答えたのです。
この出来事は、その夏のターニングポイントでした。車は完全に壊れ、友達は、期限付きの保険(車に対して払わない種類)を持っていました。私たちは結局、3年間乗ったSUBARUを4万円で売り、Mont Altoに戻りました。
 この時、私たちにもう車はありませんでした。老夫婦にこのジレンマを話したのですが、彼らは特別共感してもくれませんでした。もちろんのこと、私たちを隣町まで食料を買いに連れて行ってくれる気など全くなさそうでした。私たちは何か解決策を考えなければ、飢え死にしてしまうところでした。
 タクシー会社を探し始めてすぐに、一番近くのタクシー会社は別の町にあることがわかりました。他に手段はなかったので、すぐに電話しました。誰かが電話を取り、そしてジャマイカ人タクシードライバーの「ハロー」という声が聞こえてきました。恥ずかしながらも、彼に自分たちの状況を説明し、私たちを隣町まで連れて行き、食料品を買いに隣町まで行き、また家まで行ってくれるかと聞きました。たぶん彼は、私たちがかなり絶望的な状況だと知ったのでしょう、彼は9000円で全てを引き受けてくれました。まだ学生だった私たちにとって、食料品を買いに行くことが、一瞬にして高くなりました。私は学費を払うことさえ精一杯で、そして何もないこの場所で他の選択肢はなく、ジャマイカ人の男にお金を払わなければならなかったのです。
 私たちは、すぐに効率のいい方法を学びました。冷凍食品、米、スパゲッティ、缶詰などの安くて長持ちする食料を買いました。更に、夏の間は、ドライバーを3回しか使えないことで同意しました。
 そして、車もなく、お金もなく、インターネットもエアコンもないこの何もない町に私たちはいたのです。最初の2つの問題は、すぐに解決方法を見つけることはできませんでしたが、後の2つの問題は、なんとかなりそうでした。インターネットに関しては、キャンパスまで20分かけて歩き、Wi-Fiのスポットを見つけなければなりませんでした。エアコンに関しては、もう少しクリエイティブな方法を思いつきました。
 家電量販店で、エアコンのキャンペーン広告があったことを覚えていました。キズなどをつけずに3ヶ月以内に返却できるのであれば、買ったときの金額が戻ってくるというものでした。お金をもって友達を連れ、ドライバーとの2回目の買い出しに出ました。夏の終わりに、ドライバーとの3回目の買い出しで、エアコンを戻して、お金を受け取ることができました。このアイディアは、突拍子のないものでしたが、実際にうまくいったのです。
 最後の一週間、私たちはお互いを本当によく知ることができました。その時、「人々はFacebookができる前は、こうやって交流していたんだ」と知り、その歴史の授業を受けたような気分だったのを覚えています。やっと彼の父親が助けに来た時、全てが夢だったように感じました。悪夢のような出来事でしたが、その時、マレクが「後で今回のことを振り返った時、笑えるようになるよ。」と言っていました。そして今、このストーリーを書きながら笑っている自分がいます。

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