引きこもりからのアルゼンチンサッカー留学記

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引きこもりに至る経緯とその日々は個人的には思い出したくもない事だった。それに人に打ち明けて笑われたり、内心で引かれたりするんじゃないかと思うと怖かった。

引きこもりを克服するためにアルゼンチンに行ったわけではない。プロサッカー選手を目指してアルゼンチンに行った。アルゼンチンで本気でプロを目指している過程で出会った人達やアルゼンチンという国が持つ大らかさ人々の温かさのおかげで自分は全ての面で変われた。それは同級生や10代の頃を知っていてアルゼンチンに行ってからの僕に会っていない人達に会うと「前と違うね」「変わったよね」と言われるようになった事から分かった。それからだ。いつの日かこのアルゼンチンでの日々を多くの人に見てもらえる場で発表しようと思うようになった。

今回書き記している事は読めば分かっていただける事とは思いますが過去にされた事の暴露やその恨み事、関わりある特定の人を晒して傷つけるために綴るのが本意ではないということは先に記しておきます。

僕が変わっていく過程を楽しんでいただけてアルゼンチンという日本から遠い国に興味を持っていただけたら幸せです。

6歳で東京から千葉県習志野市に引越し、小学5年でサッカーを始めました。理由は当時僕の通っていた小学校では5年になったらミニバスケかサッカーどちらかの部活に入らなければいけなかった。ミニバスケの方は入っている人数が多くてサッカーの方が少なかった。「試合に出れそうだ」からサッカーを選んだ。

試合に出れないのも嫌だったので少ない方に行きました。なぜ人数が少なく人気がないのか。先生が怖かったからだ。

サッカー部に入ってみてとにかく走るだけで来たボールをとにかく遠くに蹴り飛ばすだけ。ミスれば怒って思い通りいかなければ怒って。泣かされて。楽しいとは感じられなかった。中学行ったらサッカーだけはやらない!と決めていた。

僕には兄が1人いるんですけど家では殴られたり学校行けば部活で先生は怒ってばかり。そんな感じなのでとにかく目立たなくする事が自然と身についてしまっていた。目立たないように。口数は少なく明るくなかった。そんな小学生時代だった。

中学ではサッカーやらないつもりだったけど僕の中学では3つの小学校が集まる。他2つは丸ごと入ってくるのに対し僕の小学校からは3割くらい。中学のサッカー部は人気の部活。他の2つの小学校はサッカーが盛んで強かった。人数が少ないうえに部活までマイナーなのに入ってしまったら口数は少なく明るくない僕は友達が増えないんじゃないかという危機感を感じて仕方なくサッカー部に入った。

中学からはゴールキーパーを始めた。周りが上手かったのでフィールドプレーヤーで出れる気がしなかったのと小学生の時少しやった事があったからだ。フィールドと比べて動かなくていいというのもあって決めた。

キーパー自体はやってて面白かったのだけど、性格は暗くて口数が少ないので指示が出せない。サッカー部に入ったからといっておしゃべりで明るい性格には変われない。身長も大きくないしこれはキーパーとしては先々厳しいなという思いはあった。

小学校と大きく違うのは強くて勝ち続けること。殆ど負けないどころか試合をすれば大差で勝っていた。サッカー自体は楽しくなってきていた。

Jリーグ開幕

中学に上がった93年にJリーグが始まった。サッカーが楽しくなりそんな時に華々しく始まったJリーグのおかげでそれまで好きではなかったサッカーに興味を持ち出した。

この時に千葉テレビでアルゼンチンサッカーが放送されていた。これにハマった!紙吹雪が舞うスタジアム。上手くて派手なプレーに見入った。Jリーグは放送してれば見るけどそれだけ。Jリーグのおかげでその他の国のサッカーを見られるようになりアルゼンチンサッカーを好きになれた。

中学の先輩の北嶋さん(元レイソル、ロアッソ)が選手権で高校1年から大活躍。そして市立船橋は選手権優勝。中学時代も話した事はなく遠くから見ているだけだったが身近な人が全国でテレビで活躍しているのを見て凄いと思った。プロになりたいとも思った。

僕としてはアルゼンチンサッカーが好きなのとカズさんの影響で海外に興味があった。カズさんがブラジル帰りなら僕はアルゼンチンに行ってやろうとマジメに考えていた。サッカー雑誌に海外サッカー留学の広告が載っている。とても魅力的に見えた。何故なら僕がサッカー嫌いからサッカー好きになれたきっかけの1つであるアルゼンチンの留学があったからだ。アルゼンチンの○○というクラブでプレーする。そうすれば上手くなれるんじゃないかというとても発想を持っていた。そんな時当時創刊されて間もないワールドサッカーダイジェストの1つの記事が目を引いた。それは育成専門のクラブでドリブルの時の目線、姿勢などに至るまで細かく教えていた。そうやって個々のレベルを上げて認められればプロクラブの下部組織に買われていく事が出来てひいてはプロ契約に至れる。練習の時に全く意識していなかった事が実際はたくさん気を使う事があったなんて。しかもプロクラブではないアマチュアクラブが教えているなんて。そのクラブの所在地がアルゼンチンであることも惹きつけられた理由だった。ここに行きたいと思った。

親に高校に行かずにアルゼンチン行きたいと告げたら「高校くらい出てくれ」と言われた。その考えも無理もない、そういうものかなと思った僕はあっさり引いてしまった。アルゼンチンへの思いは一端置いといた。

じゃあどこに行こうか。僕は県選抜にも入ったことはないしJリーグの下部組織にセレクションで入れるほどの選手じゃない。高校で出来る限り上手くなれなければアルゼンチンで通用しない。

北嶋さんのいる市船に行けば僕でも上手くなれるんじゃないかと思った。

全国目指して才能ある奴らと切磋琢磨する。そういう経験をしてから海外に出ても遅くないんじゃないかと考えた。

というわけで市船を目指す事にして見事一般受験で合格。

市船に入学する事になる。

高校は超名門。挫折

いやーメチャクチャ嬉しかった。暗い性格の僕が舞い上がってしまうくらい。それからはサッカー雑誌を引っ張り出して雑誌に載っている練習を夜な夜なやったり。この時から憧れのアルゼンチンは頭から吹っ飛んでいた。

練習には春休みから参加できた。新1年生に慣れてもらうためでもあるし、どの程度のレベルなのか見るためだと思う。

僕はキーパーを辞めてフィールドプレーヤーでやっていく事を決めた。同じ1年生や上級生にも上手い子はいた。それでも頑張ればやれるんじゃないかと思った。何人かは気にかけて話しかけてくれる先輩もいたし厳しい上下関係があるようではなかった。挨拶をしっかりやってタメ口を聞かなければうるさい人や嫌な人はいないんだと分かった。これはやりやすそうだなと思った。

春休みも終わりごろ入学を控えた頃になると見た事もない子が増えてくる。2,3年生の先輩達は市船のジャージや練習着を着ているのに着ていない子が増えてきた。すぐに分かった。同級生の推薦入学組みだ。彼らはAチームの遠征について行っていて遠征から帰ってきたのだ。春休みの頭から僕と一緒に練習していた同級生やAチームに入れなかった上級生より上手く身体能力も高い。ここでようやく「ここは市船なんだ。僕は市船にきたんだ」と改めて理解した。

入学して学校が始まる。そしてそのまま練習も始まった。

入学から1ヶ月は走りなどきつい練習ではじまった。これは「しぼり」という毎年恒例の1年生を追い込む練習だ。しぼりは推薦組みでも1年は全員参加しないといけない。(毎年恒例と言ったが今もしぼりがあるかどうかは知らない)

リフティングを落としては走り、チーム戦で負ければ走る。とにかく走る。少しづつ脱落していく子達がいる。一般の子の中には無名でも上手い子や中にはお世辞にも上手くない子もいる。おまけに走れないで制限時間に入れない。僕は中学の時はキーパーで足元の技術なんてないんだけど元キーパーの僕より出来ないで「お前そんな程度なら市船来るなよ」と心の中で思っていた。同じ1年の推薦組は制限時間内に走れない一般の子達に厳しい言葉で責めたてていた。それは足を引っ張る奴は追い込んでどんどんふるいにかけていくためだ。上からさらには指導者からもしぼりの期間はそうやって肉体的にも精神的にも追い込むように言われていたのだ。そこまでする事ないじゃないかと思ったが人のことより自分に精一杯だ。何せ毎日足を攣りながら走っていたのだ。走っている最中に右足を攣って走りながら直す。すると今度は左足が攣る。こっちも直す。その繰り返しだった。

家に帰れば寝るだけ。というかそれ以外のことをする余裕などない。

ある日の練習でいつも通り走ってドリブル競争を複数のチームに分かれて行った。僕のチームはビリになった。そして罰ゲームはピッチ往復を34秒以内。僕だけ入れなかった。なので1人でも入れないと連帯責任チーム全員でやり直し。1本目で入るのが超重要。分かっていた。この1本で力を使い果たした。走れる子に後ろから押されながら、引っ張られながら走ったが無理だった。僕以外の皆は何回やっても全員制限時間内に入っていた。結局、僕1人で36秒にして走った。それでも何本も入れずようやく入れた。そこで練習は終わり。部室では伏目がちにして周りを見ないようにしていたが、やはり雰囲気が重い。「お前、もう来るなよ」誰かがボソッと言ったのが聞こえる。僕の事なのかな?けど気付かないフリして帰った。同じ中学の子との帰り道。大丈夫だよ、頑張ろうぜ。と声をかけてくれた。まだ4月半ば。「スタートはこの位置だけどこれから頑張っていけばいいんだ。僕だって手を抜いて入れなかったんじゃない」そう自分に言い聞かせて家に帰った。明日は月曜日。唯一のオフ。こんな終わり方をして1日間が空くのは僕にとって幸運だった。

翌日、登校すると同じクラスのサッカー部の子達は普通に接してくれていた。しかし僕のクラスを通りがかる他のクラスのサッカー部員達は僕を見つけると妙によそよそしい。昼休みに他のクラスの部員達が僕のクラスの前の廊下に集まっているのが見えた。やってきて座っている僕を取り囲んで部活を辞めるように脅された。部活を辞める気は無いと告げるとまた廊下に集まっている。少し空いていた窓の隙間から皆がなにやら話し合っている。どうやって追い込もうかと。その輪の中に同じクラスで普通に接してくれていたサッカー部の子がいたのが見えた。

そして最初に辞めるよう言ってきた子がまた来て「来てもいいけど次また時間内に入れなかったらお前やばいぞ。それでもいいんだな?」と言って僕の返事も聞かずに帰っていった。

こんな事があっていきなり明日の練習で罰走があってまた時間内に入れなかったら・・・。それが連帯責任で皆に迷惑かけたら僕はどうなってしまうんだろうか。仮に明日は大丈夫でもまだ部活は続く。考えただけで恐ろしくなった。生きてきた中で一番怖かった。どうすればいいんだろうか?一応翌日の準備はした。バッグにサッカーの準備は入れた。

翌朝家を出るとき僕は違うバッグを持って出ていた。脅された事以上に廊下で集まっていた中に同じクラスの子がいたのが一番堪えた。他の皆を止めようとしてくれていたのだろうか?それとも一緒になって辞めさせようとしていたのだろうか。分からない。もう部活には行けなかった。

入学式後に少しづつ減っていく同級生の子達に対して「お前、そんなんなら市船に来るなよ」と思ったりした。そういう目線で見ていた。まさか僕が「そっち側」の人間になるなんて。

サッカーやりたくて市船に行って足を攣りながら走ってただけでサッカーやる前にこれから一緒に戦っていく仲間と思っていた子達に否定されて終わってしまった。あの朝、いつも通りサッカーの道具を持って登校していたら。今でもこの事は想像したりする。

毎日泣いた。授業中もふいにどうしようもなく悲しくなって涙が出てきた。家に帰って夜も寝れないほどに泣いた。泣き疲れていつの間にか寝ていて気付いたら朝という日々だった。理想と現実のギャップにはついていけなかった。

僕に起こった事はどんな部活にも程度の差はあれ、ある事だとは思う。この中からプロも生まれている。昔はもっと酷かったはずだ。

なら何で誰も何も言わないのだろう?という疑問が湧いてきた。このような事は必要なのだろうか?無くてはならない事なのか。

僕はこんな事でサッカーを辞めるのか。部活を辞めると高校年代ではサッカーをする場所が無い事に気付かされる。辞めると周りに体裁がつかない。何で普通の高校生が帰宅する時間に地元の駅にいるんだろう?部活じゃないのか?なんて思われかねない。だから部員100人越えで試合に出れずにスタンドで応援するだけで3年間を過ごしてでもしがみつくんだ。この出来事で全て分かった。この悪循環このまま放っておいたらまずくないか?そう思った僕はサッカー雑誌に自分に起きた出来事を投稿した。しかし取り上げられる事はなかった。逃げた者の意見は通らないのか。ここでも否定され必要とされない孤独感を味わった。ならば意見を求められる立場になるしかないと思った。だが、どうすればいいのか。情けなくて悲しくて泣いているだけでは何も出来ない。時折校内ですれ違うサッカー部の何人かは辞めた後もあの時走れなかった事を蒸し返して馬鹿にしてくる。好きで走れなかったわけじゃない。悪いと思っているのに。何も言い返せない。学校も嫌になってきていた。

みんなの読んで良かった!