18歳で初めて大失敗をした。暗い気持ちで立ち食いうどん屋に入った。注文してないおでんがでてきた。美味しかった。○○がたっぷりと入っていた。僕は強くなった。(後編)
僕は、去年、彼が喜びを爆発させて「受かった☆」と伝えてきて、僕の不合格を聞いて「来年、神戸で待ってるわ♪」と返してきたあの日から、彼を見る目を少し変えていた。あのとき、僕は完全に負けた気分だったし、たぶんだけど、実は彼も僕に勝った感覚をもっていたんだと思う。楽しそうに、軽く見下してきたようにもとれた彼のあの感じが蘇り、そのかつてのプライドが目を覚ました。絶対に合格してやる。僕は変わったんだ。
ついに合格発表の日。
一年間の浪人で僕が掴み取ったものは...
チッチッチッチッ...時は刻一刻と迫っていた。
焦ってるのか?
待ち望んでいるのか?
とにかく心臓が漠々していた。
昨日から全く睡眠が取れていない。
受験の手応えはもちろんあった。ミスはあったけど。
でもやっぱり自信はあっても不安で不安で仕方がなかった。
万が一がある。自分が気づいていないミスもありえる。もちろん、いつも通り何度も確認したから大丈夫なはずだけど。でも、とりあえず、あと少しで自分の人生が決まるんだ。
僕はパソコンの前を行ったり来たりしている。発狂したい。吐きそうだ。パソコンは兄の部屋にあって、兄はまだぐーぐーいいながら呑気に寝ている。僕は一秒一秒が非常に長く感じられる世界にいた。さっき8時10分だったのにまだ8時11分だ。1分しか経ってない!おかしい。どうしても時間が経たないのでYoutubeでアンタッチャブルや当時はまっていたSakuSakuというテレビ神奈川の番組をみていた。(SakuSakuが終わってしまうというニュースは僕にとって衝撃だった)そして、ようやくそのときがやってきた。合格発表だ。
「あれ。。。なんで?」
ずらりと番号が並ぶそのページに僕の番号はなく、そこで何秒か心臓が止まった。
「え、、、、な、、、い、、、ないぞ、、、?」
手が震えた。
がしかし、そのページには二ページ目があり、ようやく僕の受験番号を発見できた!
(やったぁーーーーーー!!!)
僕は心の中で叫びまくった!!!
そして、固く握りしめたガッツポーズを決めながら小さくうずくまり、思いっきり背伸びした!

よぉおぉぉおぉぉおっしゃあああああああああーーーー!!!!!!!!!!!!!!!!泣
自然と涙が流れ出した。終わった!ついに合格したんだ!
ベランダにでて、合格したその喜びをお母さんや予備校の先生、高校の先生に電話で伝えた!気づいたら余裕で一時間以上が経過していた。さっきは一分間があんなに長く感じられていたのに、合格した直後からの一時間はこんなに短いのか!笑
早速、その日のうちに新幹線で神戸大学に向かった。「ちゃんと番号をみておいで」って母さんが高い新幹線代を出してくれた。嬉しかった!
早速、準備をして神戸へ向かう。その新幹線の中で、僕はこの一年間をゆっくりと振り返っていた。
浪人が決まってからここまで長かったけど、一瞬だった。その間に、予備校で友達はほとんど作らなくって、振り返ってみればいろいろあったし、孤独なはずだったけど、僕にはいつでもおばちゃんやミスドの店員さんたちがいた。本当はここに書ききれなかったけど、美容院のお姉さんとか、焼き芋屋のおっちゃんとか、靴屋のおじいちゃんおばあちゃん、商店街の人たちなど、たくさんの人が僕を応援してくれていた。僕は全然、孤独じゃなかった。
この合格は僕、ひとりでは絶対にできなかっただろうなと思った。
特に、立ち食いうどんのおばちゃんはいつも僕を応援してくれて、本当に多くのものを与えてくれた。そのおばちゃんに喜びを伝えたいけど、実は電話番号もわからない。。新幹線の中で、もどかしく思いながらも神戸に到着。神戸大学へと向かった。
やった!50400が受験番号。合格☆当時の携帯で撮った写真をスマホで撮ってみた。笑
この浪人の一年間で掴み取ったものは「合格」。
だけど、それ以上に大切なものを僕はもらっている。
結局、僕はみんなよりも一年ほど遅れて受験の世界から卒業することができ、晴れて神戸大学の経営学部に入学することになった。この一年間でしっかりと第一志望の「合格」を摑み取った。
だけど、手にしたのは「合格」だけではなかった。もっともっとそれ以上に大切なものを僕は手にしていたんだ。
それは、毎日おでんにたっぷりと入っていた「愛情」だった。
実は、僕はそれまで本当に「愛情」というものをよくわかっていなかった。目に見えないし、人の気持ちなんてそもそもわかるわけないし。親とか家族から愛情を感じられるかって言ったら、正直、よくわかっていなかった。もちろん、頭の中ではそれがどんなものなのか、なんとなくは理解している。けど、実際のところそれがどういうものなのかはわかっていなかった。
けど、あのおばちゃんに出会って、本当に「愛情」というものを強く感じられるようになった。もちろん、おばちゃんの「愛情」がしっかりと詰まったおでんを食べ続けたからだ。
僕はこの「愛情」があれば、真っ直ぐ生きていけると強く思った。
これからもおばちゃんが悲しむようなこと、おばちゃんの期待を裏切るようなことは絶対したくないし、おばちゃんに応援され続けたい。
どんなに辛いことがあろうが、どんなに苦しくて、僕が道から外れたいなんて思ったとしても、このおばちゃんの「愛情」が僕の中で生き続けてて、いつでも僕の選ぶべき道を照らしてくれる。僕はそれがあるからいつだって頑張れる。おばちゃんを思い出せば、悪い道なんかには決して進めない。強くいられる。おばちゃんを思い出せば、いつでもパワーがみなぎる。
おばちゃんのおでんに込められた「愛情」が僕をここまで強くしてくれた。
おばちゃん、僕を強くしてくれて本当にありがとう。
お別れのとき。僕の恩返し。
ついに合格をして、予備校にも報告にいった。お世話になった商店街の人たちにも挨拶しにいった。
そして、とうとうお別れのときがきた。
お店に入ると、いつものおばちゃんがいた。

いつも通り、僕は60円の食券を出す。
おばちゃんはかしわうどんとおでんを出してくれた。
相変わらず、とっても美味しい!最高に美味しい。けど、もちろんわかっていた。これを食べ終われば、しばらくおばちゃんには会えなくなる。
お別れのときだ。
食べ終わると僕はいつも通り、最大限の「感謝」と「愛情」を込めて「ごちそうさま!」って言いたかったんだけど、なかなか言えなかった。
おばちゃんが泣いてたからだ。
それをみた瞬間、僕も涙を抑えきれなくなっていた。

もう本当に感謝の気持ちを上手く言葉にできなかった。
もっと格好つけて言葉で伝えたかったんだけどね。苦笑
ただただ、二人で泣いて、電車の時間がやってきた。
涙を拭いて、お店をでて、まぶたの腫れた笑顔でお別れをした。
まかせてよ!おばちゃん。僕はもう大丈夫だ。
帰りの電車の中で、僕は誓った。
僕はこんなおばちゃんみたいな存在になりたい。大きな愛情を与えられる人になりたい。もっと人のために何かしたい。社会のために何かしたい。おばちゃんが僕にしてくれたみたいに、僕がみんなを強くできたり、みんなを幸せにできたら、それがきっとおばちゃんへの恩返しになると思う。直接的な恩返しではないけど、いつか大きな大きな恩返しをするんだ。なるべく大きくて暖かいやつを。
それが僕のこれからのミッションだ。
終わりに。
長い長い僕のストーリーを最後まで読んでいただき、ありがとうございました^^
これは素人の僕が書いたストーリーで、読みにくかったり、面白みがないように感じた人もいらっしゃることでしょう。それでも、もしこれを読んで元気になってくれたり、少しでも明るい気持ちになってくれた人がいたなら、僕にとってこんなに嬉しいことはありません。
ところで、僕はもう大学を卒業しているのですが、就職をしていません。約2年ほど前から、起業を決意し、いまはアルバイトを続けながら個人事業として家庭教師事業(家庭教師 神大生の本気。→よかったらこちらも読んでみてください!『家庭教師業界の中で進撃する―25歳、最後の日に。』)を始めています。もともといつかは起業したいなって思っていたし、その自分の事業を通じて、社会に、世界に、より貢献していきたいと考えていました。
大学生活では「自分がどうやったら社会、世界に良い影響(インパクト)を与えられるか」ということを模索し続けて、ある学生団体に所属していろんな社会的な活動をしたり、実際の社会人を話すことや大学の授業でビジネスを学んだり、スウェーデンへの留学(ギャップイヤー)などで様々な文化や考え方に触れ、価値観を広げてきました。
まだまだおばちゃんに恩返しをできるほどの自分にはなれていませんが、僕は起業する一年半くらい前に、スウェーデンのストックホルムであるものに出会いました。それはフラッシュモブです。僕はこのフラッシュモブなら「自分が生まれてから死ぬまでに、もっとも大きなインパクトを生み出せるかもしれない」と思いました。アイデア勝負で、人を笑顔にできるもの。そこにフラッシュモブの可能性を感じられたからです。
なので、僕は卒業後、約5年間と決めて、まずは生計を立てるために家庭教師事業でビジネスにトライし、その傍らでフラッシュモブチーム【チャリプロ】の運営をし、まずは経験を積んでいこうと思って実行しています。事業でもしっかりと価値を生み出し、その対価としてしっかりとお金を稼ぐ。それを通じて、将来的には、チャリプロで培った技術を以て全力でフラッシュモブをしたいと考えています。
こうして僕が生み出すフラッシュモブによって、それに遭遇した人たちはもちろん、それを動画でみた世界中の人たちが元気になって、幸せな気持ちになってくれれば、それをみておばちゃんは喜んでくれると思うんです。立派な人間になったね!ってね^^
僕はいま、こうした考え、アイデアをもとにおばちゃんへの恩返しに挑戦していこうと思います。そういう意味で、この浪人時代は僕にとってかけがえのないターニングポイントでした。この一年間の経験があったからこそ、人生のミッションを見つけられたし、大学生活はどうやって恩返しするかを考え、行動できた。そして、留学中に運良くそのアイデアが見つかったので、就職せずにトライしてみる。ここからが僕の人生の大勝負です。
だから、僕はこれからも精一杯頑張っていきます。
もっともっと大きくなって、おばちゃんが生きているうちに恩返しをしたいと思います。
こんな僕ですが、実際はまだまだ未熟で、ビジネスもたったひとりで経営しており、思うようにうまくいっていません。お金もないし、辛いことも多いです。でも、そんなときでもおばちゃんを思い出すといつでもパワーがみなぎってくる。こんな僕ですが、これからもどうぞよろしくお願い致します!
最後までお読み頂き、ありがとうございました☆
家庭教師 神大生の本気。& チャリプロ 創設者 吉村直哉
最後に、起業を決意した次の日、おばちゃんに会いにいったときの写真!僕の宝物です☆
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