いなくなった弟との対面

著者: 高田 雅俊

病院に着いた


すでに、弟の命が絶たれた事はわかっていた。


落ち着いて、病院の受付で案内をしてもらい

部屋に案内してもらう。


暗い廊下を歩いていくと、その部屋があった。


飛び込んできたのは、ベッドに横になった弟。

ベッドの横の椅子に座る母さん。

そして、ベッドの横の椅子に座りながら

力が抜けたように、壁に背をあてて

座り込んでいる真ん中の弟だった。


いろんな思考が巡ったが、思わず

ベッドに横たわった、すでに

命のなくなった弟の体に泣きついた。


なんで、もっと大切にしてやれなかったんだ。


そんな事を言いながら、ベッドに横たわる弟の体に

泣きつきながら、涙がボロボロと溢れて止まらなかった。


同じような言葉を繰り返しながら

泣いている内に、少しずつ落ち着いてきた。


母さんも真ん中の弟も、もう泣いてはいなかった。


俺が東京から帰るまでの2時間の間に

それこそ泣くだけ泣いたのだと思う。


真ん中の弟は力なく壁によりかかって

喋る事も、動く事もほとんどなかった。


思えば、真ん中の弟と俺の間には3歳差、

真ん中の弟と、亡くなった一番下の弟の間は2歳差、

より距離が近かったのは弟同士かもしれない。


5歳も違うと、それこそケンカも

あまりしないが、弟同士の間では時々、ケンカもしていた。


この時は、自分の事ばかりで

周りの気持ちもそこまで考えられなかったが、

そうなのかなと今にして思えば思う。


そのあと、何を話していたのかは覚えていない。


しばらくすると、親父が病院に戻ってきた。


親父は弟を最初に発見した第一発見者で

そのために、警察から事情聴取を受けていたようだった。


親父が弟に何かする事などありえない話だし

それこそ最初に発見して、救急車を読んで

必死に救おうとした親父の辛さを考えたら計り知れない事だ。


一番ショックがデカかったかもしれない親父に

なぜ、そんな時でも事情聴取をすぐにしなければならないのか、

とても疑問に思えた。


病院に戻ってきた親父も

エネルギーがなくなりきった様子だった。


地面になんとか立つ事ができている、そんな感じだった。


もちろん、俺たち家族全員が

同じような心地だったかもしれない。


皆、それぞれが悲しんだし、この出来事以上に

ショックな事など、一生起こり得ないだろうと思えた。


今、この記事を書いているのはすでに

2年以上も経ったが、今のところはこの出来事以上の

衝撃やショックや悲しみというものはない。


もっと言えば、この出来事があまりにも

ショックで、悲しい出来事だったために

他の出来事は全てかすり傷程度にしか感じない気もする。


誰かの本で

「死ぬ事以外はかすり傷」

という言葉があった。


俺にとっては自分の死の訪れはまだだが

「大切な人が死ぬ事以外はかすり傷」

そんな心地が今でもしている。


弟が死んだ事で、大学時代に自殺した友人を含め

2人の大切な人をなくす事になった。


その出来事が「悲しかった」のだとすれば

他の出来事は、そんなに大したものではなかった。


それくらいショックの大きい事で

これまで映画やドラマ、アニメ、漫画などで


『家族や友人が死んで、主人公や

 登場人物が失意のどん底に落ちる描写』


を見ても、いまいちイメージできなかったのが

この時を機に、自分ごとのように感じるようになった。


人間という生き物は、自分勝手なもので

自分に関わるものや、経験のある事にしか

深いところでは共感できないのかもしれない。


それは、人にもよるのだと思うが少なくとも、

自分の場合は、大切な人の死を体験した事で

それで苦しむ人の気持ちがようやく理解できるようになった。


理解できる、というのは

もしかしたら表現が違うかもしれない。

ただ、単純に共感できるようにはなったと思う。


ここまでが、これまでの人生で

もっとも辛かった夜の出来事の全てだ。


ここからも辛い事が続く事にはなるが

また続きも書いていこうと思う。

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