我が子を抱くまで14年。‐③‐

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3回目の妊娠、2回目の後期流産。


17週での後期流産の後、半年ほどして働き始めました。
妊娠は半年空けるように言われていたし、次も入院の可能性が高いから少しお金を貯めようと思って。

1年ほど働いた頃、私は3回目の妊娠をしました。

仕事の最中に出血したことで気付き受診。
この時もまた大事をとってすぐに安静生活に入ったので仕事は退職させてもらいました。

幸い出血もすぐに治まり、前回の結果から妊娠5ヶ月でシロッカー手術(子宮口を縛る手術)も決まっていたため「今度こそ大丈夫」という思いが湧いてきていました。


寝たきり生活を続けること3ヶ月、悪阻もあって体重は9kg減。
でも比較的順調で胎動も感じ始めた16週の検診日。

病院へは母に連れていってもらい、少しお腹も出てきたね~なんて話しながら歩いたのもつかの間・・・内診すると何やら不穏な空気が。

「胎胞が出てきてて、赤ちゃんの頭に触れるくらい」と医師から信じられない言葉。
私に自覚症状は全くなく、子宮頸管無力症だということがハッキリした瞬間でした。

前回17週で後期流産していたのにシロッカー手術が18週では遅いのでは?という悪い予感が的中・・・。



そのまま緊急入院になりました。

24時間点滴、トイレはおろか食事も寝たままです。
尿道カテーテルは違和感と痛みで地獄の様・・・排便もオムツになり苦痛しかありません。
今思えば赤ちゃんが下りてきていたから尿道カテーテルに違和感があったようです。

翌日の手術を予定していましたがお腹が張りだしてしまい延期に。
結局手術できたのは1週間後でした。

下半身麻酔をしたものの、もう既になくなっていた頸管を引っ張るためかお腹は激痛。
すぐに全身麻酔に切り替えられました。

なんとか3mmまで子宮口を狭くすることができたとのことでしたが、術後も動いたら何かが切れてしまいそうな下腹部の激痛+生理痛のような痛みで数時間動けず、目も開けられず。

翌日の夜にはお腹が張り出しウテメリンはMAXの3A40に・・・。
それでも治まらず、今度は水状のものが大量に出てきて破水では?と医師が出勤する翌朝まで陣痛室で一晩を過ごしました。
結局 破水ではなかったけれどかなりの出血が見られ、夜には39℃近くまで発熱。

陣痛のような痛みと戦い、寝ていても流れ出るのがわかるほどの出血を感じながらの術後6日間。
それに加え、ずっと患っていた内痔核がとんでもない大きさまで腫れあがってしまい前も後ろも激痛状態でした。


6月28日(術後6日目)
痛みも張りも酷くなってきたので病室で診察してもらったところ、再び胎胞脱出が・・・。
その場で押し込んでもらい様子を見ていましたが、時間が経つにつれどんどん痛みは強くなり安静にしてなきゃいけないのに動かずにはいられないほどに。
涙も滲んでくるほど痛くて、気付けば痛みは5分間隔・・・明らかな陣痛です。
そしてあっという間に1分間隔になってしまいナースコール。

医師は私のお腹を触り「どうする、(糸を)切るか?」と聞いてきました。
その時の私は痛みとお腹の張りに耐えるのが精いっぱいで「どうしたらいいですか?」と聞くしかなく、もう一度お腹の張りを確認した医師から「切ろう、良く頑張ったよ」という返事が返ってきました。

その瞬間に涙が溢れて、夫には「ごめんね」と謝りました。
夫は「良く頑張ったね」と言ってくれました。



すぐに車椅子で分娩室に移動し抜糸が行われました。
「息め」と言われたけど、何故か痛みが遠のいていて「産みたくない」という気持ちに・・・。
それでもやらなきゃいけなくて息んだ途端に破水しました。
医師が産道に手を入れてきたことが痛くて体が逃げてしまうと、「こら!がんばらないと赤ちゃん苦しいぞ!」と怒られ、2回目の息みでぬるっとした感触・・・赤ちゃんを出産。
へその緒が垂れ下がっている感覚があったのを覚えています。


その後 胎盤を見せてくれましたが、剥がれかかっていたようで端が変色していました。
やはり張りで糸が食い込んだようで、頸管は少し切れていたそうです。
分娩台での掻き出し作業は痛くて辛かった。


そんな辛い事を乗り越えた直後、まだ分娩台に乗ったままの私の足に手をかけ「まだこれから帝王切開あるんだよ、忙しいんだよ~」と言った医師。
私にその話は酷すぎるし、何より分娩室でタバコを吸いながら・・・しかも床に灰を捨てている・・・あれには本当に驚きました。



その後 対面させてもらった赤ちゃんは本当に綺麗な顔した女の子でした。
18週3日 21.5cm 250g

たった2週間の絶対安静でしたが、直後に行ったトイレでは座ることはできても立つことはできなくなっていました。
暫くはしゃがんでも自力で立つことはできなかったです。




退院後は・・・また夫婦2人で待つ火葬の時間。
前回と同じく晴れだねなんて、こんな場所でこんな会話をする夫婦はそういないだろうなと思った日でした。



そしてこの3回目の妊娠があまりにも辛く、痛くて、もう二度と妊娠したくないと思ったのです。





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