高木教育センターのありふれた日々(8)
高木教育センターのありふれた日々(8)
第七十一章「英検1級に合格すると、世界はどう見えるのか?」
第七十二章「こうやって、英検1級に合格しました」
第七十三章「こうやって、京大数学が7割解けるようになりました」
第七十四章「26歳、無職、貯金なし、彼女なし、資格なし、何にもなしのボクだった」
第七十五章「シンプルライフ」
第七十六章「Xくんと、Yさんの件」
第七十七章「予備校の模試って、誰が採点してんの?」
第七十八章「ボクはどうして京大を7回受けたのだろう?」
第七十九章「お前の母ちゃん、出べそ!」
第八十章 「北勢中学校の生徒はアホばっか!」
第七十一章
「英検1級に合格すると、世界はどう見えるのか?」
小さい頃に英語がペラペラの人を見たときに、不思議に思わなかったろうか。ワケのわからない記号の羅列を読めてしまう。ワケのわからない音声が、ちゃんと意味を持って聞こえているらしい。
「あの人の頭の中はどうなってんの?」
と思った。その不思議を解明したかったが、英検1級に合格した頃に理解できるようになった。
たとえば、2つの経験をお話ししたい。私がホームステイしていた時のこと。
「ダウンタウンに行くが、ついてくるか?」
とホームステイ先のママが聞いてきたときのこと。
私は
Whichever is fine. (どっちでもいいよ)と言った。すると、いつもニコニコしていたママが急に険しい顔になって
「イエスかノーかどちらかに決めなければならない!」
と言ったので、ビックリしたこと。
もう一つは、日本の帰還宣教師に
「本音と建前の建前って、英語でなんと言うのかな?」
と尋ねたら、lie (嘘)と言ったこと。
この二つは衝撃的だった。つまり、アメリカ人の立場から見ると日本人がよく言う
「どっちでもいいよ」
というのは、自分の意見がないダメ人間の証拠であり、本音と建前を使い分ける日本人はウソつきに見えるということだ。その他にも、
「山は座、タンスは棹、ウサギは羽と数えるんだ」
と言う言語学者の解説がバカバカしく聞こえるようになったこと。英語なら、onetwo three で済む。単位を付ける必要性など全くない。一言でいえば、日本文化を客観的に見られるようになったということだ。
「クラブと勉強の両立」
と日本の教師は叫ぶが、それは極めて日本的な文化に基づく。私のいたアメリカの中学校は、クラブが存在しないので午後二時半になると校内は消灯で真っ暗だった。バランスのとれた人格形成にクラブは不可欠などとは、何の根拠もない洗脳だ。
私は毎朝アメリカのABCニュースを聞いている。英語のDVDも字幕なしで楽しめる。英語の歌も同様だ。もはや、金髪のオネエチャンと友達になることに妄想を抱かない。リアルの等身大の外国人を知ったからだ。
上記の言語学者のように、英語を語る日本の英語教師や英語講師の言うことも耳に入らない。日本人だって、
「あそこに山が三座ある」
とか
「ここにタンスが二棹ある」
なんて、もはや言わない。私は教師とか教授とかいった肩書きだけで、自分の主張を正当化しようとする人間が嫌いで、信用しない。
英検1級に合格すると、こんな傲慢な視点が生まれる(笑)。
第七十二章
「こうやって、英検1級に合格しました」
Youtubeやブログにいろいろ言ったり書いたりしたけれど、ザックリ言うと目の前のことを全力でやったということ。具体的には、日本生まれの日本育ちのため高校までは「受験勉強」をやっただけ。
「受験英語ができても英語は話せない」
と言うのはそのとおりだと思うけれど、役には立つ。
大学入学後は、大学のLL教室やらネイティブのクラスやらに出席したけれど身につかず。ECCに通ったけれど暗記ばかりで身につかず。リンガフォンをやっても、NHKを聞いても身につかず。
それで、最終的には「留学」しか選択肢がなくなった。それで、アメリカでどんな生活を送っていたかをチョット詳しく書くことにする。留学しても英語が身につかない人も多いのだから、参考になるかもしれない。
まず、留学先だがユタ州を選んだ。それも田舎。モルモン教徒が多いので治安が良く、田舎には日本人がいないと聞いていた。日本人が多いと、いつも集まって英語が身につかないと聞いていた。
そこで
「毎日、何をやっていたか」
だ。朝起きたら、家族と朝食をとって中学校へ向かう。中学校では、facultyroom で教師たちとおしゃべりしながら、教室へ。教室ではアジア人が珍しいらしく話しかけられることが多い。もちろん、これ全て英語。
最初はスラスラいかない。だから、身振り手振りとカタコト英語で切り抜ける。私は少林寺拳法ができて、ジャッキー・チェンとテレビに出たことがある。ヌンチャクも使える。そういう話題は中学生にはウケたのだ。
それで、午後2時半に学校が終わると帰宅。その後は、キリスト教会のパーティやら仲間とあちこち連れて行ってもらった。キャンプや、ボート遊びや、水上スキーや、プールや、スポーツ大会や。もちろん、それ全て英語で語り合い。
夜は、必ず英語で日記をつけた。日記をつけながら、その日に覚えた単語や言い回しを確認していった。3ヶ月もすると、英語で夢を見た。半年もすると日本語を少し忘れた感じがした。全く使わないからだ。
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