世界一周中の車に、500円払って僕の無謀な夢を描いたら…まさかの夢が叶った話

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17歳の時に読んだ本で僕の人生が大きく変わった・・・

17歳の春、僕の友人は四国一周をママチャリでしていました。

そんな時に、あるトラックの運ちゃんに

トラックの運ちゃん
おい!
わしお前らみたいな自由な奴ら好きや!
この本読み!!!

と言われ、トラックの運ちゃんからある本を渡されました。


なぜか、その渡された本が、僕の手元まで回ってきました。

そして高校の授業中に先生にバレないように

こっそりとその本を読みました。


その本は世界一周した著者(高橋 歩)の

写真と簡単なポエムでした。



高校生の僕の目には全てが新しくて・・・

その写真とポエムがシンプルに

僕の心に刺さり


なんで、こんな小さい教室の椅子に座ってるんだろう・・・。


ふと、その当時の授業中の教室がとても小さく見え、

凄い不思議な感覚になったのを覚えています。

何かに吸い込まれるような感覚に近いかもしれません。


それから高校の時はボクシングに没頭していたのもあり、

スポーツ推薦で大学に入ったのですが・・・

もともと頭の悪い僕は、ただ就職することが目的の大学の勉強にも

力が入らず授業の内容にもついていけず、、、


大学自体が嫌になり大好きだったボクシングも辞め

次はファッションを学びたい!ファッション専門学校に入学し通い始めました。


この時から・・・何か嫌な事があると、逃げる癖がつき始めたのかもしれません。


20歳の専門学校の夏休み!とうとう初海外


20歳の夏休みに、とうとう海外に出る決意をしてバックパックを始めました。

高校生の時に読んだ本の影響も大きく、

「肌でリアルに感じる」

事を何よりも大切にして、旅を続けていました。

現地の汚い川に飛び込んで現地の子供と遊んだり、現地の人の家に泊まらせてもらったり

肌で現地を感じる旅をしていました。


その時に、行った国はタイとカンボジアの2カ国ですが、

もっと自由に生きるべきじゃ?

って日本の社会にも疑問を持ち始めました。


完璧な逃げグセがつき始めた20代前半


帰国して、また授業がはじまり進級して日に日に

ファッションの専門学校の勉強にもついていけず

厳しくなった僕は、次はファッションの専門学校が嫌になり

親のお金で行ってたファッションの専門学校も辞め

そして辞めた大学にもう一度入るという嫌な事から逃げに逃げる人生を送っていました。

(親からしたら最低の子供だったとお思います・・・。もちろんその後は息子の最低な行動に

愛想がつき学費の援助もなくなりました。当たり前ですよね。)


大学に逆戻りをした僕は、旅のために再スタート


大学に戻りカリキュラムを見直すと、もし今から大学の試験を全て合格したら

4年生の時に授業を受けないでいい事が判明しました。

自分の心の声
って事は試験さえ頑張れば、また旅ができる!!!


1つの光が見えた僕は、あと1年後に世界一周に出ると決意し、バイトと勉強三昧の毎日を送っていました。


そのおかげで、単位を3年生の秋学期にはほとんど取り終えていました。

そして、就職もファッションしか勉強していなかった事もあり・・・

ファッションデザイナー1本で決めて、就活して2ヶ月でなんとかファッションデザイナーの

内定をもらえました。


23歳の時にとうとう世界一周に!


1年間で稼いだ150万円を手に、

昔から夢にまで見た世界一週の旅に出発しました。


「アジア⇨ヨーロッパ⇨中東⇨アフリカ⇨南米⇨中米⇨アメリカ」

50カ国の国を1年かけて回ってきました。


その時の旅のスタイルも変わらず肌でリアルに感じる旅です。

世界一過酷といわれているエチオピア・ケニア間をトラックをヒッチハイクして

2日間トラックの上で現地のアフリカ人と国境越えをしたり


モロッコでモロッコ人と広場でボクシングして仲良くなったり、




アフリカの子供と、仲良く粘土遊びしたり

子供にジャッキーチェーンの真似してバカになり戯れたり


バカな僕に教育が必要と察したのが、アフリカの子供たちが
小学校に招待してくれたり・・・笑


旅をすれば、する程自分の心の中で

日本で就職するという意味が分からなくなりはじめ自分の中で葛藤し始めました。


大学を出て、会社に入って、年金をもらって、そして死を待つ。

暗黙のルールのようなこの日本の生き方って本当に自分は幸せを感じれるのだろうか・・・

この幸せは社会一般の幸せの概念であり、自分の幸せは、そこにあるのだろうか?


日に日にその思いも強くなっていましたが・・・答えは結局出ず。

気がつけば世界一周も終わりの時を迎えていました。



帰国後、逃げグセのついた

社会不適合者は社会に馴染めたのか・・・?


そして帰国後、内定していた会社に入り

1社目は、上司や周りの人間関係が嫌になり1年で転職し

2社目は、メンズデザイナーとして働くようになりました。


(こんなデザインしていました)

最初はデザインもやりがいがあり楽しかったのですが・・・

みんなの読んで良かった!

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