14 勝ってかぶとの緒をしめよ

前話: 14 不協和音第2楽章
次話: 15 百が一のため 

「親父どの、話があります」と、もいける娘が切り出した。
横で聞いてると絶対口出ししたくなる自分を知っているおっかさんは、
これも作戦の一環であるのだが、サァーっと身を翻し、台所へお隠れ
遊ばします。台所で片付け物をしながら、どういう反応があるかと、
おっかさんも胸がドキドキです。

夫がこれで「うん」と言わなければ、無事日本の大学入学試験を突破
したとして、本人の全財産、そしておっかさんの全ヘソクリを持ってし
ても、4年間を生き抜くためには、もいける娘はまさに新聞配達少女を
やるっきゃないのであります。

この時こそ普段は思うことのない、
「あぁ、どっかに落っこってないかなぁ、安い下宿屋ともうちょっとの
お金」と思ったものです。

試合が、いや、話し合いが終わった後のもいける娘の顔は晴れ晴れ
です。それもそうでしょう。「日本へ行かしてくれ」ではなくて、「この分
足らんので貸してくれ」ですもの。

それに比べて夫の顔・・・気の毒なくらいしょげ返っておりました。
無理もない、こんな風に愛娘に出られたら、二つ返事で「ホイ、分かっ
た」とこそは言わないが、引き止めるのを諦めるしかないです。

「いったん日本へ行ったが最後、帰ってこないぞ、君。どうするの!」
と、わたしに八つ当たりでございます。

さぁ、ここからはおっかさんの出番です。
ポルトガルの大学を終え、それから日本へ行ってもいいではないか、
という夫と、おっかさんは多少やり合うことになるのでした。

すでに触れましたが、ポルトガルの大学は当時は5年制で、日本の
大学より1年長い。しかもバイトでもしようものならてき面、落ちてし
まうような厳しい勉学が求められます。

その間に、日本の大学、もしくは日本の社会でまともに通用するよう
な国語力を娘が維持できるとはとても思えません。息子がそのいい
例です。せっかく9年間、週に一度の補習校と日本からの通信教育
講座を修めたと言うのに、大学はリスボン大学で5年間学んだゆえ、
日本語を耳にすることも、話す機会もなく、ふと気がつけば、帰省の
際に「明日、ポルトへ来るよ」と言う始末。「いくよくるよ」じゃあるまい
し。英語では「I´m coming」となるもので。


言葉とはまさに生き物、使わなければ、日々忘れるのです。
娘は行くなら今!

日本に定着し、もうポルトガルには帰って来ない算段が大きい。
そうね。でも、彼の夢はここではないみたいよ。わたしたちが
彼女の幸せを保証できる確信はどこにもない。むしろ、羽ばた
こうとするのを押さえつけることにならない?

わたしはどう?18歳で都会へ出て、まぁ、そこそこ一人でなんとか
やってきた。だから彼女もなんとか、できるはず。長女であるわたし
は、親を妹に預け、ポルトガルと言う遠い国まで来てしまったわけ
で、自分はしたけど、子供にそれをするな、とは言わない。

石橋を叩いて期をうかがうのも方法ではあるけれど、もういいかな?
いいかな?と叩きすぎて、橋を壊してチャンスを逃してしまうことだっ
てあります。夫はこのタイプです(笑)

人生には、チャンスがあるのよ。一度の逃せばそのチャンスが再び
来るかどうかは分からない。彼女は、今、行くべきなのです。

おっかさんはこの時、息子のことも引きあいに出したのでした。

British  School11年間学んだ息子も、もいける娘と同じように
高校はポルトの私立校に行きましたが、イギリスの大学へ行きたい
と言ったのでした。イギリスで勉強するのも日本へ行くのと同じくらい
費用がかかります。

この時、おっかさんは息子に、「行け!後のことはなんとでもなる。
ロンドンは都会だから、バイトをしながらでも大学へ行ける。ママが
今持ってるお金を全部あげるから(大した額ではなかったが)行け!」
と後押ししたですだが、親のふところ具合をおもんばかって息子は
諦めたようでした。

ポルトガルの大学生活はやはり彼にとって馴染まない部分があった
ようですが、始めたからには卒業まで行くしかないのです。

と、ここまでが、夫を慰めているようで、実は説得したのであります。

「日本の大学で、普通の日本の学生と同じようについていける国語力
が娘にはあるの?」と夫。

この辺はおっかさんのハッタリです。ある!と即答。
そして、こういう時のために、普段から、もいける娘の日本語エッセイ
などを夫との話題にそろ~っとそろ~っと採り上げて来たのであります。

「娘、ポルトガル語ではどうか、わたしは判断しかねる。でも、日本語の
文章は多少言葉の遣い方がおかしかったりするけれど、いい線行くと
思うわよ。補習校の先生方も、題材の目の付け方とか文章が面白いっ
て評だから」この辺りも、大分ハッタリが入っとりまする(笑)

これで夫はついに涙を飲んで、ゴーサインを出しました。

もいちゃん、よかったわね^^
この時の嬉しかった気持ち、とうとう日本へ行けるんだ!と、夢の第一
歩を踏み出した時の喜びを決して忘れないでください。

いよいよ日本の大学受験に向けてまっしぐらです!


もいけるのどうでもいい話(5)        
       
1)バイオロジーの実験ばかりやる授業である。
今学期は種について研究中。
種の構造を図に描いて名称をいれる、と言うことをやっていた。
そこへ別の班の人がこちらに来て、わたしの班の子に色々
質問していた。その中で笑えたのがこれだった。
 
 「あー、それじゃ この クs・・・この部分が コティレなんとか
  って言うんだな」
 
 ・・・お前さん、今 ク○って言おうとしたね・・・ふふ。
お姉さんはしっかり聞いたよ。さりげなく 言いかえたね。
えらいよ あんた。

 
 2)今日は英語のテストがありました。(日記?)
 英語は得意と言えど、時にはわからない言葉もあるので
 昨日、前もってかばんに英和辞典を入れといた。つもりだった。
 
 ポルトガルはテストに辞書を持ち込んでひいてもいいことに
 なっている。甘いよね・・ふっ
 
 テストちゅう、早速意味のわからない言葉が出てきたので
 「おしっ、辞書だ。持ってきといてよかった~*パラパラ*」
 ・・・・・・・
 「noten,kaichu,daibu,arechi・・・・?」
 
 しまったぁーー間違って和英辞典を持ってきてしまったーーーー
 あぁ・・哀しきかな・・・まぬけなり・・

母のコメント:こんなところは母に似ないでよろしい。
         しかし、ここで英ポ辞典じゃなくて英和辞典を
         使おうとするところが、日本人だ。

続きのストーリーはこちら!

15 百が一のため 

著者のSodebayashi Costa Santos Yukoさんにメッセージを送る

メッセージを送る

著者の方だけが読めます

みんなの読んで良かった!

STORYS.JPは、人生のヒントが得られる ライフストーリー共有プラットホームです。