20 旅立ちの時

前話: 19 父と娘の会話
次話: 21 Maiko老人支援財団

2004年の6月の自分の日記を開いてみました。

もいける娘が統一試験を無事終えて、いよいよ本人に言わせれば、
「やっとの帰国」、わたしに言わせれば「とうとう日本へ」の準備に追わ
れていた頃です。

日本での大学受験を大いに後押ししたものの、5月に入るとわたしは
毎日のように、知らず知らずうちに深い溜息をついていたようです。
それを見かねたもいける娘、
「おっかさん、そんなにため息ばかりついてると、幸せが逃げて行くよ。
いっそのこと自分のホームページを立ち上げたら?」と、言う。
簡単に言ってくれるけど、自慢じゃないが、ホムペのホも知らないのだ
と答えると、

娘「そんなことは知ってらぁい(笑)。だからわたしがポルトにいる間に、
したらいい。教えてあげるから」

新しいことにすぐ夢中になり易いおっかさんの性格を知っていたので
しょうか、はたまた、おっかさんを置いてけぼりにする後ろめたさが
あったのでしょうか。娘の気配りでした^^

オフィス時代の若い時分には、独学で学んだ英文タイプを仕事として
いたのでキーボードは、昔とった杵柄、すぐ、指の感覚をとりもどし、そ
ちらの方は問題がありませんでしたが、無料HP解説に漕ぎつけるの
には、ノーハウのメモをとりながら、四苦八苦しました。

その間、娘の試験勉強中に、何度もおそるおそるおじゃましては、
「コンコン。あのぉ、また分からないことが出てきましたんですけど^^;」
と彼女の部屋をノックしたものです。
いったい娘の勉強が大事なのか自分のHP作成が大事なのか、われ 
ながら返答に窮するような時期でした。

2004年6月18日、ホームページ開設の折には、

お待ちどうさまでした。ホームページ、やっと開設できました。
ここまで来るのに、ホントに苦労しました。
娘、もいけるの受験勉強をサポートするどころか、部屋に閉じこもって
勉強まっ最中の彼女に、「頭休めないの~~?」
なんてゴマカシながら、ホムペ作りの手伝いに誘導。(笑)
苦難の末の作品です。

と、挨拶。もいける娘日本出立のほぼ2週間前に完成した我がホームペ
ージではありました。


この頃、もいける娘が続けて二つの拾い物をしました。以下、日記です。

6月20日/2004「また拾い物・・・」

アパートの表ドアを閉めて外へ踏み出すと、先に出ていた亭主ともいけ
る娘がガレージの傍で何やら路上を見下ろしている。
夫の顔は心なしかちょいと不機嫌に見えた。

なにかと思ってわたしも覗きに行ってみると、翼を傷めたのか、そこには
一羽の白い鳩がうずくまっていました。

そのまま放置しておくと、犬猫にヤラれますのは目に見えており、娘はと
うとうそれを拾い上げてしまいました。

「家のなかには置けないよ。」と夫。当たり前でござんす。
何しろ我が家には日がな一日、外出できないで狭い家でストレス発散に
一日中悪さをしてるネコが6匹いるのでありまして。

ホントに仕方なさそうに夫はとり合えずガレージに置いておくことを提案。
   
つい3週間ばかり前にも、もいけるが子猫トラネコを拾ってきたばかりな
のでした。あ~あ。。。

6月29日/2004 「多忙中につき・・」

ふつつかな娘がいよいよ日本を目指して旅立ちのため、準備で忙しく、
ぼそぼそ言ってる暇もありませんでした。
今日は、鳩の報告のみ残します。

結局、鳩は我が家に一週間居候したのですが、6匹もネコがいるので大
変でした・・・
うちのねこたちが世話になっている動物病院へ持っていきましたら、鳥類
は見ませんとのこと。

それで、その鳩、羽を痛めていただけではなくて、どうやら目に炎症をおこ
していたらしく、両目が薄い膜でカバーされて目が見えないのでした。
えさも食べず水も飲まずで、むりやりくちばしを押し開いて、えさらしき物を
押し込んでの荒療治。一週間後の金曜日に、動物園に電話をしてめんどう
を見てもらうことになり、やっと一件落着

7月2日(金曜日)/2004「もいける旅立ち後始末」

6月30日水曜日早朝の便、フランクフルト経由で日本へ向かったもいけ
る娘。この日はちょうど亭主の誕生日で、夫いわく
「what a nice present」 

わたしはと言えば、一日中なんだかほんとに、海より深いため息をつい
ておりました。

しかし、しょげてはいられません。
さて。ちょっと日本行きの荷物の準備で乱雑になったあの娘の部屋を少し
づつなんとかしてみようか。」と思い立ち、とりあえず、散らばっているペー
パー類を手当たり次第にくずかごに放り込んでおりました。

「なんだ、こんなとこにまだ時分が使い古した財布を捨てずに置いてる」と
机上に見つけました。日本へは新しい財布を持たしたのです。それをいっ
たんはくずかごにポイと放り込んだものの、何故だか虫の知らせ。念のた
めと中身をあらためましたらましたら!

なんとまぁ、わたしが出発数日前にあげた「福沢諭吉さん」が二枚入って
いるではないの!もうちょっとでこれ、捨ててしまうところだったよ・・・
この2万円、ポルトガルでは4万円の価値があるのよと、ホクホクホク。

もいけるめ、きっと今頃、家計簿の計算があわないでいるに違うない。
だまって懐にいれ、恩着せがましく「2万円余分に送金したわよ~~」
くらいに言っとこうか。

しかし、こういうことは黙っておられないタチでして、さっそくメッセでつなが
っている彼女を見つけ、話しましたら、「親譲りの天然ボケだ」と言下。

こんな風に、2004年6月30日、18歳のもいける娘は、ポルトのサ・カル
ネイロ空港を日本へ向けて旅立って行ったのでありました。

見送って空港を後に、我が家へ向かう車中、わたしたち夫婦がお互い何
も言わずに、ただひたすら娘を送り出した思いを抱きしめてこらえていた
のは、言うまでもありません。
口を開くと、どっと溢れくるであろうものを押さんがため、車中のわたした
ちは、無言で帰宅したのでした。

続きのストーリーはこちら!

21 Maiko老人支援財団

著者のSodebayashi Costa Santos Yukoさんにメッセージを送る

メッセージを送る

著者の方だけが読めます

みんなの読んで良かった!

STORYS.JPは、人生のヒントが得られる ライフストーリー共有プラットホームです。