僕と家族とひきこもり。悲しみの底で見つけたカウンセラーという生き方を目指した2190日。
・はじめに。
これは、引きこもった僕と家族のお話しです。
どこにでもある平凡な家族のお話しです。
そんな平凡な家族が突如ひきこもった僕とどのように付き合ってきたのか、
そして、どんな愛情をもって、その”ひきこもり”と関わって、支えてきてくれたのか、
その2年間の記録と、家族とのつながり、そして家族に支えられたひきこもりが心理カウンセラーを目指す、2190日のお話です。
最初に言っておきますが、この話を読めば、ひきこもりが脱出できる!というお話しでも、
ひきこもりを脱出して、成功したお話しでもありません決してありません。(現に、まだ僕の道は続いていて、到底たどり着いたとは言えない状態です(汗。)
どこにでもある家族が気づいたらひきこもっていた僕、そして、支え続けてくれた家族と、カウンセラーという道を一歩、歩むまでのお話です。
さてさて、少し長いですが、お付き合いくださいね。
・気づいたらひきこもりになっていた22歳のころ。
僕が引きこもったのは、22歳の時でした。
ちょうど大学4年生の時です。
両親はとっても働き者でした。
父は営業のお仕事でずっと同じ仕事を生涯続けて家庭を支えてくれました。
お酒を飲むのが好きで、今でも毎晩晩酌をしています。小さいころは出張続きで、
月の半分は家にいませんでした。
母もまた、営業の仕事や色々な仕事をしながら、家事をして僕たち家族を支えてくれました。
母はとっても働き者で、常に明るくてよく笑う母です。
姉は、当時銀行に勤めていて、姉もまたよく働いては、毎年海外に旅行に行っていました。
姉は母の明るいところと、父の気の強さ(?)を受け継いで、とにかく明るく、
そして怒ったら怖くてしょうがなくて、よく怒られ、家ではいまだに”ひ~ちゃん”と呼んでくれる実は弟想いの優しい姉です。
僕はというと、どちらかというと母に性格は似ていました。小さいころはよく外で遊び、
運動神経がよかったので、なんでもスポーツをしていました。裸足でサッカーをしたり、裸足で森の中を駆け巡り、
秘密基地をつくったり、家に帰れば「納豆くさいから、足あらって来い!」とよく怒られ、全力で遊んでいたので、
食べている途中に食べ物を噛んだままよく寝ていました・・・。
家族は仲が良く、よく一緒に旅行にいったり、よく笑って、よくケンカをし、よく家から姉と一緒に放り出されました。
そんなどこにでもある家族です。
僕は、大学は英語が好きだったので、外語大へなんとか合格し、彼女もできて、
楽しいキャンパスライフを送っていました。
そんな中で僕が引きこもるようになったのは、大学4年生のちょうど夏を過ぎた頃からでした。
もともと働き者の両親を見ていたせいか、働くのって大変だなとか、こんな生活嫌だなって思っていたふしがあったので、
アルバイトもほとんどせずに、働くのが嫌でした。
就職活動も結局30~40社(エントリーシート含め)受けましたが、すべて落ちてしまい、不合格の通知を読むたびに、
「自分を必要としてくれるところはないんじゃなか・・・。」そんな漠然とした不安と、
「良かった・・・。」といった安心感が少しだけあったのを今でも覚えています。
それでも、焦る気持ちから就活を続けますが、受からず、周りの友人はどんどん決まっていき、
自分一人だけになり、活動を辞めてしまいました。
落ちるたびに自分はいらないって烙印を押されているようで、親も何も言わないからいいかなんて考えて・・・。
その後、当時はまっていてオンラインゲームに逃げる毎日を送り、単位はもう取り終えていたので、
大学4年生はほとんど学校にいかずに過ごしました。
そして、周りの友人は就職が決まってので、会うたびに「ひとしどうするの?」という言葉や、
「研修がさ2月にあってさ・・・」といった言葉を聞くのが嫌になり、劣等感からあまり会わなくって、
気づいたら、何も決まらぬまま卒業していました。
(このままじゃいけない・・・)
そんな思いを抱えながらも、これまで用意されてきたレールの上を歩いてきた僕は、
そこから外れた時に、どう戻っていいかわからず、
変わらずレールの上を行って、就職して働いている友人の事を思っては、
なんともいえない、劣等感を感じて、自分をせめてました。
自分をせめても、現状は変わらず、でもどうしたらいいかわからずに、ゲームに逃げる日々。
(今までうまくいってたのに、なんでだろう・・・)
そんな思いも抱えてたまま、劣等感から友人とも連絡を取らなくなり、
家からでなくなってしまいました。
そして、気づいたら引きこもりです。
外に出たくないのです。なんだか社会から外れてしまった気がして、
後ろ指を指される気がして・・・。
ただ、卒業後も、家にずっといる僕に対して家族はいつも変わらずに接してくれました。
リビングにしかそのゲームができるPCがなかったので、リビングで何十時間もゲームをしていたので、
「ひとしおはよう」
「ひとしおやすみ」
とか、そんな言葉をずっとかけてくれていました。
それに対して僕は、特に何も答えず。
それでも、家族はずっと普段と変わらずに声を掛けてくれていました。
誰も、働かないの?
とは聞かなかったんです。
それが、どれだけ忍耐がいる事か、愛情がいることか当時の僕は知る由もなく、
ただ、ひたすらにゲームをし、ゲームをしないと、見えない恐怖や不安に押しつぶされてしまいそうで、逃げていました。
今更、どう接していいかもわからないんです。家族や社会と、この世の中と。
それは、きっと家族も同じです。
家族もひきこもった息子と、どう接したらいいかわからないのです。
そう、お互いにわからないのです。
でも、そこで止まっていると前には進まないのです。
そこで、止まらずに前に進めようと理解しようと、家族が歩み寄ってくれたおかげで、
今の僕があります。
その一歩は、一冊の本から始まりました。
・母がくれた本と気づなかった母の涙。
その一冊の本は、母がくれました。
「ひとし、この本お母さんも読んだんだけど、面白いから読んでみたら?」
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