全国から注文が寄せられる出産記念品『ぼくのてがたのうつわ』〜1人のママのアイデアが形になるまで①〜
きっかけは、第一子の出産。
2013年6月22日、わたしは第一子となる女の子を出産しました。
産まれてきた赤ちゃんの手は、プニプニと柔らかくて、と〜っても小さくて、なんとも言えない可愛いらしさに溢れていました。
その小さな手で、一所懸命に私の指を握りしめてくれた瞬間は、たまらなく愛おしいかったのを覚えています。
赤ちゃんの成長は凄まじく早い!
産まれて数日の間は、まだ手も足もシワシワでとても小さく、抱き上げるのも恐る恐るなくらい華奢だった我が子。
しかし・・・
赤ちゃんて2ヶ月でこんなに大きくなっちゃうんだね。産まれてきた時と全然違うね!
わたしが里帰り出産をしたため、仕事が忙しい夫は、出産の立会い以来、1度も娘に会いに来れなかったんです。だからこそ、2ヶ月ぶりに会う娘の成長ぶりに、本当に驚いていました。
赤ちゃんは、生まれてからの1ヶ月で大体1キロの体重が増えるんだそうです。
3ヶ月では出生体重の倍に。2歳、3歳になる頃にはその何倍にも。
今この瞬間の可愛さとか、成長の証になるものとか、残しておきたいな…。
娘の写真は毎日たくさん撮っていました。
でも、赤ちゃんのサイズ感がそのまま残るものを何1つとってあげてなかったんです。
よし!手形、足形なら、今すぐにでも取れる!と思い、さっそく紙にペタっとしてみました。
紙にとった手形と足形。確かに可愛いけど、それだけではなんだか味気ないのです。
ほかのママはどうしているんだろう…?ネットで調べてみると、出産記念品として手形のフォトフレームやメモリアルスタンドがたくさん出てきました。
これどう?可愛くない?
数年後は、玄関で埃かぶってたりしない…?
飾るだけじゃない、毎日使える記念品はないのかな?
主人の突拍子もない発言。
でも、この一言が『ぼくのてがたのうつわ』誕生への第一歩になります。
家族みんなが使っているシーンを鮮明に描けるものを作りたい
赤ちゃんが誕生した時、わたし達夫婦はもちろん、おじいちゃんおばあちゃん、ひぃおじいちゃんひぃおばあちゃん、兄弟…とにかく周りのみんなも一緒に大喜びしてくれました。
そんな家族みんなの幸せな記憶を、いつでも思い出せる記念品にしたい!そう思ったんです。
でも、毎日みんなが使うものってなんだろう…。
・・・。・・・。・・・。
わたしと、ひぃじいちゃんが共通で使えるもの…。
・・・ない?
数日考え続け、ようやくピンときました。
食器だー!
俺それで二十歳になった娘と乾杯したい!
「生まれた時はこんな小さい手だったんだぞ!」と話ながらお酒を飲む主人と娘、シワの増えた手を小さな手形に重ねてお茶を飲むおばあちゃん、、、
赤ちゃんの小さな手形が入ったカップに、それぞれが自分の手を重ねて使う姿がものすごく鮮明にイメージできました。
コネもない、実績もない、お金もないわたし
さっそく食器作りと行きたいところですが、
当時のわたしには、コネも、実績も、お金もありませんでした。
陶芸家でもなければ、有名人でもない、ただの1人のママです。
でも、時間だけはありました。たっぷり。
飛び込みで窯を巡る日々
食器と言えば、長崎県。
有田焼や波佐見焼きなど、有名な窯元がたくさんあります。
いざ!!!
抱っこ紐で娘を抱え、1週間かけてあちこちの窯元へ。周りきれないところは、電話をかけてみたりもしました。
わたしの説明が下手くそだったということもありますが、
まともに話を聞いてもらえなかったり、冷たくされることも多々ありました。
そんな簡単にいくわけもないんですが、断られつづけると「そもそも無理なお願いなのかなぁ…」と諦めそうにもなります。
でも、抱っこ紐の中で、娘はニコニコしてるんですよね。随分励まされました。
どうしてもあなたがいいんです…
育児の合間で窯元探しを続けていたわたし。
偶然、器好きの知人から1人の作家さんの名前をお聞きしました。
波佐見町で活動している陶芸家Tさん。さっそく会いに行きました。
おっとりとした女性が1人、優しい雰囲気の器が並ぶ工房で迎えてくれました。
作品を見せてもらったり、雑談をしたり。
この日はなぜか、手形の話を出せないまま家に帰りました。
でも、心は決まっていました。
翌日、意を決して電話をかけました。
やっと、やっと、やっと、その時は来た。
無いなら、作ろう!と決めたその日から、気がつけばもう1ヶ月以上が経過していました。
その間に、どんどんどんどん具体化していった記念品の理想イメージ。
・手形がそのままの大きさでうつわに刻まれること
・赤ちゃんの手のプクプク感が伝わること
・名前や日付も一緒にうつわに入れられること
・子どもから大人まで使いやすい形にすること
わたしの下手くそな手描きの完成図を見せながら、必死に説明しました。
Tさんは、真剣に話を聞いてくれて、どうやったら作れそうか一緒に考えてくれて…
それからも何度か打ち合わせに通い、カップの形を決め、色を決め、ようやく記念品作りへ。
やっと、やっと、やっと、ここまで来ました。
ーーー
続きはまた改めて。
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