早稲田で人生を変える 第七回
私の浪人時代の平日のスケジュールは、朝6時に起床、朝食を食べ、寝癖を直し、歯を磨き、トイレに行って着替えてから電車で最寄りの駅まで行く。大体7時半ごろに駅に着き、電車を2回乗り継ぎ多摩地区の予備校に8時50分ごろに到着、9時からの1時間目に出席するという具合だ。授業がなければ自習室へ。そして、予備校が閉まる夜8時まで授業に出るか、自習室にて予習、復習の繰り返し。夜8時に予備校を出て、9時ごろに自宅に到着。それから夕食を食べ、お風呂に入り、12時前に就寝。大体、一日12時間勉強をしたことになる。テレビは、食事の時にニュースを見る程度だろうか。
2浪の2年間、娯楽テレビ番組の記憶は一切ない。
現役で大学に行った友人に地元の駅などで会いたくなかったので、何となくうつむいて歩いていた。あまり友人に会った記憶もない。土日祝日は勉強をしなかった。というか、私は自宅では勉強ができなかった。集中できなかったのだ。しかし、今考えると多摩地区の代ゼミの自習室は満杯になることはないので、平日はいつでも自習室で夜まで勉強ができたことは、都心の代ゼミに行かなくてよかったことの一つではないだろうか。当時の代ゼミは生徒数も多かったので、都心の校舎の自習室は常に満杯。席の確保のために並ぶという大変無駄な時間を費やすことがあったようだが、私はその経験はしなかった。土日祝日は模擬試験を受けるか、そうでない場合は完全休養をした。最寄りの駅の本屋で立ち読みをしたり、都心の丸井や伊勢丹で買い物をした。予備校生時代は、昼に食事をすること、飲み物を買うこと、予備校のテキストをコピーすること以外にお金を使わなかったので、親からもらっていたお小遣いはあまり使うことがなく、意外とお金を持っていたように思う。よって、洋服にお金をかけるくらいしかお金を使わなかったので、もしかすると人生で最もおしゃれなな時代だったのかもしれない。ポールスミスやビームス、アニエスベーオム、コムサデモード、ジュンメンンなどのモード系ブランドが好きだった。
渋谷のファイヤー通りにあるお店や、Time is onなどにもよく行った。
基本的には黒と白のファッション。買い物も、グダグダ長くするのではなく、即決で購入した。あんまりお店をブラブラすると、疲れてしまうからだ。
私は、早稲田大学に行くために勉強している。
あっちの世界へ行くんだ。
負け犬の世界から抜け出すんだ。とストイックに勉強に取り組んだ。
映画を見に行くことも、遊ぶこともなかった。ただ、私は中学時代にサッカー部に所属していたため、大学に行った友人が当時の中学校サッカー部の同級生をメインとしたサッカーチームを作り、区市町村のサッカー連盟に加盟したチームに私も一応メンバーとして参加していた。土日祝日にサッカーの試合があるので、私も休みが合えば参加した。公立の中学校だったので、学力は上から下までかなりの幅があったが、大人になってから思うと、スクールカースト的にはサッカー部であることは学校の中では上のポジションにいた気がする。ただ、勉強でいうと、早慶東大レベルに行くようなサッカー部員はいなかった。サッカー部の同級生にはもちろん2浪などいなかった。早稲田大学に行っているやつもいなかった。一人、付属高校から早稲田に行ったヤツがいたが、目的を失い、大学中退した。なんてもったいないことをする奴だろう。そのプラチナチケットを欲している人間がどれだけいるかわかっているのだろうか。その彼は、今、音信不通である。東京六大学に行っている同級生といえば、明治大学、法政大学に通っている同級生がいた。彼らも全員、付属上がりだ。つまり、真剣に大学受験をしている奴らがいない環境だ。2浪の私は物珍しそうに見られていた。当時の彼らは、私をどのように見ていたのだろうか?浪人生というまったくわからない世界の私を。会話があかりかみ合わなかった記憶がある。彼らは、大学で学び、バイトをし、恋愛をし、自由と青春を謳歌していた。私といえば、できるだけ人に会わないように生活をしていたのだから。そして
「早稲田なんか行けるわけないだろ」
という言葉では発しなくとも、ところどころの会話で察することができた。明治大学に行ったヤツからは
「お前の高校から、明治に何人行けるんだよ。(お前、明治大学に入れるのか?)」
というような嫌味を言われた記憶がある。私は、彼が発したこの一言は、一生忘れないだろう。私が早稲田大学に合格し、私が早大生になったとき、彼はどのように思ったのだろうか?私が2浪生の新川さんをバカにしたように、いつか自分がその立場になることになるということは、いつか彼も学ぶ時が来るだろうか。いや、すでに学んだのかもしれない。不思議なもので、中学生ごろのスクールカーストで上位にいた連中は、大体、運動部に属する人たちだ。大人になると、当時のスクールカーストでは下位にいた、地味で勉強ができる連中が社会的地位が高くなり、逆転現象が起きる。私は、結果的にはスクールカースト的にもサッカー部という組織にいたため上位にいたし、社会人になってからも、早稲田大学を卒業し、誰もが知る会社に入ったため社会的地位もきっとあると思う。そのため、中学校の同窓会が数年ぶりに開催された時の微妙雰囲気がなんとも面白かった。今、現在、うだつが上がらない、当時スクールカースト上位だった男たちが同窓会を仕切るわけだが、中学時代地味だった勉強ができるヤツらのほうが社会的にイケてるわけだ。女性陣も中学時代はチヤホヤされていた連中が、ずっと独身で、逆に地味で目立たないおとなしい女の子が美人になっていて、結婚し、子供を持ち、幸せな家庭を築いているという、なんとも皮肉な結果だった。私は、随分冷めて、客観的に分析していた。社会的に成功している連中は、中学の同窓会なんぞに来なくてもいいわけで、来てない連中も多かった気がする。うだつの上がらない、当時の運動部連中、つまりはカースト上位連中が幹事となって会を仕切り、昔の立場を思い出すという、見てて切なくなるような同窓会だ。中学生当時は同じ学校に一緒にいた連中が、ちょっとずつ、ちょっとずつ、年を重ねるごとに全然違う人生意を歩んでいくものなのだ。
そして、気が付いた時には取り返しのつかない差がついてしまうんだ。
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