過去の「鬱」体験。そして今の私・・・

著者: 矢田 こずえ

「鬱」を克服した私の過去を知って下さい。そして、その怖さに耳を傾けてください。


今でこそ明るいイメージの私ですが、こんな私が実は12年程前ひどい鬱に悩まされた時期がありまして、それを乗り越えることができた経験からこのようなものを書いてます。


私が鬱になった訳

まずは過労でした。

やる気がある時は多少疲れていても人は動ける物ですよね。

多少つらくても気力でなんとかなるし、動き始めてしまえばエンジンはかかるものだと思うんです。

しかしその頃とてもプライドの高かった私は、男性社会にいながらも自分の力を認めてもらいたくて

自分の体力、能力以上に働いたのです。


結果は・・・上司ウケは良かった。

しかし他の男性陣から疎まれるようになっていきました。

イヤミ、陰口、小さなイジメのような事が始まったんです。


も最初の頃は何人か仲間がいたのでそれほど気にはなりませんでした。

「できない人のひがみ!」くらいにしか考えていなかったんです。生意気ですね(笑)

でも、仲間だと信じていた人からのたった一言で私の心は一気に崩れてしまいました。

心が重く、次の日から仕事に行けなくなってしまいました。


戦いの始まり

まず、朝起きられなくなりました。

目は覚めているのですが身体が鉛のように重くて起き上がれません。


それでも何日かお休みをもらった後、また仕事に行き始めたのですが猛烈な吐き気や目まいに襲われるようになりました。

あげくのはてにはお客様の前で意味もなく涙が出てくるような始末・・・

とてもまともに仕事が出来るような状態ではなくなったのです。


そこからさらに不眠や拒食が始まり、体重も1か月で10キロ以上減少してしまいました。

さすがにそこまで来ると起き上がる事も出来なくなってしまい、仕事も辞めざるを得なくなってしまいました。


悪夢の時期

仕事を辞めたからといって体調が良くなる訳でも無く症状はどんどん悪化していきました。

対人恐怖症になり、人と関わるのが怖くなりました。

次に失語症。人と話そうとすると喉がつまったように声が出なくなりました。


母にまで「わがまま病」と言われ、完全に「引きこもり状態」になりました。

「働かなくては」と思っても「動けない」という状態から

「自分がいるから皆に迷惑をかける」「自分なんていない方が良いんだ」と、

考えはどんどん悪い方へ向いて行くようになってしまったのです。

そして最後には死ぬことばかり考えるようになってしまいました。


巻き込まれた家族

当時、心療内科という所へ通うのはとても恥ずかしい事だと思われていました。

母にまで「世間体が悪い」と言われるような、世間ではそんなとらえ方をする風潮があったのです。


また、その頃の私は集中力も無いため車の運転も出来ないような状態でした。

何度も事故を起こしそうになって車の運転をあきらめ、心療内科への通院も母に送迎を頼んでいました。

世間体が悪いなどと言っていた母が1度だけ診察室に入った事があります。

母は先生に「どうしてこんなに神経質なのか?父親の悪い所ばかりを受け継いで!」

というような事を言っていた覚えがあります。


すると先生は「この病気は家族の理解がなければ治りません。娘さんを責めてはいけません。」

というような事を言ってくれたと記憶しています。

その時の先生の言葉は今から考えると本当にありがたいものだったのですが、当時は周囲の理解も

無いままぼんやりと濃霧の中を漂っているように過ごしていたので全く気づきませんでした。

しかし残念ながら母の理解を得ることはできませんでした。


 私の天使達

当時まだ幼かった私の子供たちは本当に辛かった事だと思います。

甘えたい盛りなのにいつも部屋に閉じこもっている私の顔を見に来ては

「ママ、今日は大丈夫?」と声をかけてくれました。

その日にあった出来事を笑顔で話してくれました。


そして当時一番大変な思いをしていたのは、お付き合いをしていた現在の旦那様だったと思います。

仕事から帰って来ると私が血だらけで倒れていたり、行方不明になっていたり・・・

しかし彼もうつ病を理解出来ない1人でした。


メンタルがとても強い人なので、「心が折れる」という事がどうしても理解できなかったようです。

でも逃げ出さずにずっとそばにいてくれました。


当時、失語症状態だった私ですが、彼とだけは話も出来たし、時にはケンカもしました。

この子ども達と現在の旦那様が、それぞれ性質は違いますが私の天使となって支えてくれたのです。


回復の兆し

しばらくは拒食も続きましたし、歩くのもフラフラで階段から転げ落ちて救急車で運ばれたこともありました。

発病から1年以上経った頃でしょうか。

時には外出も出来るようになり、以前から好きだったリラクゼーションを受けに行きました。


当時薬は不眠症薬や抗うつ剤を朝晩5錠くらい飲んでいましたが、それでも眠れなかった私が

リラクゼーションを受けている時だけは熟睡できたのです!


その結果、あんな状態だった私がなんと夢を持てるまでになりました。

「そうだ、私のように苦しんでいる人の為にリラクゼーションの仕事をしよう!」という夢です。

そしてこの夢を持てた頃から徐々に体調が回復していってくれたのです。


ソフト整体の学校に通うのが楽しくなり、友達も出来て明るい気持ちも持てるようになりました。

もちろんここまで来るのには何年もかかりましたが・・・


 脱出

リラクゼーションに関わるようになり、やっと普通の生活が出来るまでに回復した私でしたが、

子供たちが学校を卒業するまでは収入を第一に仕事を選んできました。

3年前、末の子が就職したのを機会にリラクゼーションを本格的に仕事にする事にしました。


「私のように苦しんでいる人の為にリラクゼーションの仕事をしよう」

という気持ちは、この頃には

「鬱になる前にケアしてもらいたい、ケアしてあげよう」に変わっていました。


1度鬱になってしまうと回復するのに何年もかかるし、「自殺」などという最悪な事態もひきおこしてしまわないとも限らない!と自分の経験からわかったからです。


私のするべき事

企業当時は広告を出したりしても中々お客様にはお越しいただけませんでした。

それでも、お越しいただける数少ないお客様にお聞きしてみたところ

「リラクゼーションは贅沢品。お金と時間が両方ないと受けられない」

という内容の答えが多かったのでびっくりしました。


そこで「それなら、こちらから出向いてケアをしてあげたらどうだろう?」

「会社にお伺いして、就業時間中に少しお時間をいただいてリラクゼーションを受けられたらどうだろう?会社の福利厚生費は使ってもらえないかな?」と考えるようになりました。


もちろん「そんな事は不要だ!」とおっしゃられるメンタルの強い方も多いとは思いますが、

実は表面に出ていないところで「鬱の予備軍」は確実に存在しているのです。

もちろんストレスは仕事上だけではなく、むしろプライベートの方が多いかもしれません。

でも、ストレスが重なり「鬱」になってしまったときには会社側の負担も大きくなります。


「ストレスケア」の一環として、1人でも多くのみなさんにリラクゼーションを受けていただく!

これが私の今やるべき事だと思っています。


新たな悩み

 実は鬱の怖さをどうやったら皆さんにご理解いただけるか悩んでいます。

うつ病は本人だけが苦しいのではありません。

家族はもちろん、会社や社会も巻き込んでしまうものだと思います。


鬱は他人事だとおもっていませんか?そう言う私も自分とは無関係だと思っていた1人ですが・・・



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