高木教育センターのありふれた日々(19)

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高木教育センターのありふれた日々(19)

第百八十一章「とても見るに耐えない」

第百八十二章「滅びのプテラノドン」

第百八十三章「京都大学の採点基準」

第百八十四章「あの子たち、みんな死ねばいいのに」(1)

第百八十五章「あの子たち、みんな死ねばいいのに」(2)

第百八十六章「あの子たち、みんな死ねばいいのに」(3)

第百八十七章「あの子たち、みんな死ねばいいのに」(4)

第百八十八章「あの子たち、みんな死ねばいいのに」(5)

第百八十九章「あの子たち、みんな死ねばいいのに」(6)

第百九十章  「あの子たち、みんな死ねばいいのに」(7)

 

 

 

 

 

 

第百八十一章

「とても見るに耐えない」

  どうして人は年齢を重ねると頑固になるのだろう。

  塾講師を始めた頃、私は学園ドラマの主人公のような熱血先生をめざしていたように思う。しかし、今は違う。現実を知ったからだ。学校のように不特定多数の生徒を集めると、玄関のガラスは割られるし、月謝は踏み倒されるし、教室内の問題集は盗まれるし、一生懸命に作ったプリントは帰りに捨てていく。保護者は

「月謝分成績あげろ!」

 と怒鳴り込んでくる。

 そんな毎日に疲れ果ててしまった。生活も不安定になり、受験指導どころではなくなった。

Why do peoplebecome obstinate when they get older? 

When I began torun my own school, I wanted to become a kind of hero like a main character inTV program.  But now I have a differentidea because I know the reality.

When I gatheredstudents and accepted all the students, some broke the glass of the door,didn’t pay their tuition fees, stole the reference books in the classes andthrew away papers I made.

The theirparents cried

“Let my son get a good school record.  That is your job because I paid.”

  I have been tired of such life.  My school had a financial problem, too. 

 

  骨の髄まで

「学園ドラマは虚構だ。嘘だ。ろくでなしは教育不可能、矯正不可能」

  と悟った。そういう目で歴史をふりかえってみると、いつの時代もどの国にも凶悪犯はいて性善説など成立しない。

  I knew the TV drama was wrong andlie.  Bad students cannot be taught.  It is impossible to reform them.  Looking back at the past, we always had gangsany time in any country.  I don’t believein the view of human nature as fundamentally good any more.

 

  若い頃は無知だから夢を見ることができる。しかし、現実が見えてくるとろくでなしの犠牲になっている生徒が見えてくる。

「医者になって患者を救う生徒と、人殺しもしかねないろくでなし」

  そのどちらを指導するのか。自分の生活だけでなく、子供たちの生活もかかっていたので選択の余地などなかった。

  When we are young, we are ignorant.  That is why we can believe in such a stupididea but when we get mature, we know the reality.  It means good students are always at thesacrifice of bad students. 

  I cannot accept the reality.  I wanted to protect good students.  I also had to protect my own children.  My school must be stable financially.

 

  私は、今では頑固オヤジだ。もはやお花畑のような考え方には戻れない。良いものを悪いものの区別がすぐつくようになったから、悪いものを見るに耐えないようになった。

  真面目で勤勉な生徒の支持は厚くなったので、それが自分の社会における役割だと割り切っている。素行の悪い人には近づかないようにしている。モンスターペアレントと言われる人たちは現実を知らないだけだ。

  Now I’m pumpkin-headed and cannot go back to astupid idea.  I can tell good studentsand bad students easily.  I cannot put upwith very bad students.

  My school is liked and supportedby good students and stable financially. I stay away from bad students and their parents.

 

  そんな悪い生徒を相手にしたら、毎日盗まれた問題集を買い足し、壊された備品を修理し、踏み倒された月謝の手当てをする日々に変わる。授業の準備なんか出来なくなる。

  まともな授業をしたかったら、そういう雑務から開放されなければならない。モンスターペアレントの人たちは、

「自分でやってみろ」

 だ。できるわけがないのだから。

  If we teach bad students, we have to fixbroken desks, buy new books and have to think about how to live with unstableincome.

  If we want to give good teaching,we have to be free from such problems. 

 

 たとえば、バイオリンの初心者に演奏させると、ほとんど騒音だ。時と場合によっては、ピアノ殺人事件のように人に殺意を起こさせるほど不快なわけだ。それは、音楽だけでなく私たちは一流のアスリートや芸術家の作品は見るが素人のは見ない。

  見るに耐えないからだ。

  勉強だって、実は同じことなのだ。立派な英作文や、見事な数式による証明はほれぼれとするが、未熟なものは見るに耐えない。なぜなら、そこに現れているのは「怠惰な生活」「怠けた生活」の結果が現れているからだ。

 For example, it is just a noise when poor violinists play theviolin.  We sometimes have a seriousproblem of killing because of a noise from the next door.  We enjoy only good music, top athletes andtop singers.

  Good things are good and badthings are bad.  People think and feelthat way. Why not teachers?

 

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