発達障害の息子と育児ノイローゼの嫁から家族の本当の幸せを教えてもらった話 第5回
環境の変化
は、長男にとって、一番苦手なコト
一度自分にとって馴染んだ生活は少しでも
変わってしまうと拒否反応を示してしまう
偏食
いつも同じ服を着る
欲しいものを我慢できない
などなど数え上げたらキリがないのですが
カラダは成長してもココロが成長できない長男に
対して
着々と成長していく弟
勉強が進んでいく友だち
当たり前に変化していく環境に
徐々に長男はついて行けなくなりました
そして定期的に通院していた病院ですら
長男の症状について的確な判断ができない状態に
なっていたのです
特別学級で安心してしまったボクは
通院を嫁さんに任せっきりにしてしまっていました
しかし育児に悩んでいたのもつい最近の話
病院が変わる度に混乱してきた嫁さんにも
限界が来ていました
先生が何を言っているのかわからないの
仕事があるからな...
しかし明らかに症状が悪化していく長男の現状を
会社に相談したところ、病院への付き添いを快く理解してもらい
定期的に仕事に支障がないように休みが取れるようになったのです
気がつけば嫁さんが読んでいる
発達障害関連の本は溜まりに溜まっていました
そして本を読めば読むほど
まだまだ発達障害自体の理解が浸透していない
という事がわかってきたのです
新しく近所にできた小学校への転校
これは次男の進学の手前、変えざるを得ませんでした
特別学級で仲良くなった友だちや先生との別れ
は「環境の変化」として大きすぎたのかも知れません
学校へ通えなくなった長男の生活リズムは崩れ、
あっという間に昼夜逆転の日々になってきました
大好きだったスポーツや屋外での遊び
2年生の時にはマラソン大会で1位になるくらいの
長男が外へ出たがらず、ほぼ引きこもりの状態が3年生くらいから
続いたのです
ココロは幼いままでカラダは9歳となった長男は
発作で暴れ出すと抑えられるのはパパの私だけになっていました
症状が悪化の一途を辿る中、ボクらは県で一番大きな
精神医療病院に行くことになったのです
そこで受けた診断は
ADHD(注意欠如、多動性障害)ではないのですか
今では自閉症は「自閉症スペクトラム」と呼び
かつては「自閉症」「アスペルガー症候群」「高機能自閉症」と呼ばれていたのを
一括りにしているとのことです
「発達期に生活上の困難が現れる発達障害のひとつ」が自閉症スペクトラム
う〜〜〜〜ん 訳わからん。。。
呼び名を変えるのはあくまで「障害」ではなく「個性」
として社会に浸透させる意図があるのでしょうけど
それだけ「障害」に対する私たちの理解が足りないのかも
しれませんね
現に自分も長男の発達障害を受け入れることに抵抗は
少なからずあった訳ですから
そんな診断を受けてから約3ヶ月
ついに長男が入院することになりました
幼稚園で発達障害が分かり
小学校を特別学級で迎え
徐々に病状が悪化し、今は入院生活
今、長男にはどんな世界が見えているのだろうか?
ボクら夫婦にとって
親としてできることは何なのだろうか?
我が子はいつもそれを問いただしてくれます
子どもが生まれたとき、あるひとは言いました
親元からすぐに離れていくんだからさ〜
かわいいときなんて一瞬だよ、一瞬!
一般的に
「かわいい」と思える一瞬が
これだけ長く続いているのはひょっとして幸せなことではないか
約10年間、発達障害で子どもの言動に頭を悩まされた日々も
入院で子どもと離れてしまえば寂しくて仕方がない自分がいます
子どもが「かけがえのない存在」
そう教えてくれたのが
子の自閉症や妻の病気という名の
人生の障害でした
しかしその障害を家族で乗り越えること
その前にあるのはまた高い壁なんだけど
それをまた超えていくのが人生だし、
家族だからこそそれができるのだと思います
きっと我が子が普通に育っていたら
当たり前にある幸せに気づけなかったかもしれません
鈍感なボクに教えてくれた神様の贈り物
が子どもの障害と妻の病気であったのだと
信じています。
終
最後に
「発達障害の息子と育児ノイローゼの嫁から
家族の本当の幸せを教えてもらった話」はここで一旦
一区切りとさせて頂きます。
途中一向に続きを更新しなかったにも関わらず
読んでもらえて感謝します。長男はまだ入院中なので
STORYという名の彼の人生は続きますが、その続きを
書けるかどうかはボクにもわからないのでまたここで
再開に再会できたらその時はその時でどうぞよろしくお願いします。
このSTORYで少しでも「発達障害」に対する偏見とかイジメがなくなれば
と願っています。
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