人見知りのわたしがスピーチコンテストに出た。それもフランスで(1)

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著者: Inden Harumi

フランスに住んで20年になります。



去年、フランスでスピーチコンテストにでました。

たかが、それだけのことなんですが、人前で話をすることが大の苦手だった私にとって、

それだけで、すごく進歩したと思えるので、そこに至るまでの経過を書いてみます。



人前で話をするのが苦手と書きましたが、そのことに気がついたのは、日本で、会社に勤め始めてからでした。

それまでは、話すことが必要な状況に置かれたことがなかったので、自分のことをよく知らなかったのです。


話す才能を生まれ持ってきた人もいると思うのですが、普通、この才能は、育つ環境の中で育まれていくものではないでしょうか。


私の両親もあまり話すのは得意ではなく、

"あれどうだった?"

"うん、あれ、大丈夫だったよ。"

というような、会話スタイルの中で育ってきました。

学校も、いわゆる詰め込み教育を受けてきました。

壇上に立って発表するというようなこともなかったのです。


会社に入るとこれが一転。

人前で話す必要が出てきたのです。

突然、そんな役割が回ってきても、いままでやったことのないことなので、うまくできなかったのです。

うまくできないことをやるというのは、かなりの苦痛でした。

それ以前に、プライドが傷つくので、うまくできないことがあるということを認めたくなかったのだと思います。

そんなわけで、うまくできないなら、うまくいくように工夫してみようという発想には至らなかったのです。



フランスに行くことを決めたとき、フランス語を話すことができなかったのですが、この時はまだ、言葉ができないとどうなるかということは全く考えていませんでした。


日本にいれば、たとえ、話すのが下手であろうと、言葉はわかるのです。

フランスに来てからは、ゼロからの出発。まず、言葉がわかりません。


言葉ができないと、人に頼らずを得ないことが頻繁に出てきます。

これがとてもきつかった。


日本にいるときは、何でも、一人で頑張ってやっていくタイプでした。

人に頼るということはよくないと思っていたみたいです。

子供の頃から、人に迷惑をかけてはいけないと言われ続けていたので、

頼る イコール 迷惑をかける という図式が頭のなかにあったと思います。


フランス語ができれば、また以前のように自力でなんでもできるようになると信じて、

フランス語をがんばって、勉強したのです。


しかし、学べば学ぶほど、さらに学ぶことがでてくるのが語学です。

どこまでやっても達成した!という感覚はでてきません。


自分の言いたいことをうまく理解してもらえないときや、相手の話していることがわからないときは、

落ち込みました。

どんなにフランス語が上達しても、フランス人には及ばないので、劣等感を覚えました。

人から、言葉も満足に話せいない馬鹿な人だと思われるのが怖くて、

引っ込み思案になっていきました。


今考えると、わたしの思考の仕方にある傾向があることがわかります。

自分が出来るようになったことには気づかずに、出来ないことだけに目を向けてしまう、完璧主義。

完璧主義者は、完璧でないときは、自分に自信が持てないのです。


フランス語のレベルが大したことはなくても、母国語の訛りがあっても、

自分の言いたいことをちゃんと主張できる人もいます。

彼らとわたしの大きな違いは、自分に自信があるかどうかということでしょう。


自分に自信がある人をうらやましいと思いつつも何の行動を起こすこともなく、

年月が過ぎていきました。


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人見知りのわたしがスピーチコンテストに出た。それもフランスで(2)