アリゾナの空は青かった【9】アリゾナ・ノスタルジア

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エッセイのタイトルに「ツーソン留学記」と堂々と掲げているが、われながら少しあつかましい思いもする。

後にその訳を明かすことになるのだが、移住するつもりで渡ったアメリカ大陸、志を翻し、実は半年で日本へと、とって返したわたしであった。 しかし、このわずか半年間のアリゾナ生活は、その後のわたしの人生の指針になったような気がする。

たいしてお金は持っていなかったので、帰国すると決めた後も、思い出の品物は皆目買わなかった。「これが若き日に訪れたアメリカの記念品だぜ。」と、だから、しみじみと手に取って眺めるものはほとんど皆無。あるのはこれのみである。

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ツーソン周辺にはインディアン保護地区がある。シンプルなインディアンアート細工が施された銀のバングル。奮発して4つ手に入れたが、ひとつは娘が今は保持する。

アリゾナの思い出は、茫洋とした記憶のなかで漂っては、時折ひょこっり姿を現す。そんな時に決まって脳裏で流れてくるBGMが、トム・ウエイツの「Waltzing Matilda」であり、「 I wish Iwas in New Orleans」だ。

ハウスシェアリングの仲間の一人、ジョンツーソンのカレッジの歴史講師です。夜間授業をしており、日中はというと、いつの日か自著の歴史本を出版したいと原稿を書いているのだった。

8時半からの大学のESL授業を終えて帰宅する午後、927番地のドアを開けて直ぐがリビングルーム、それに続くダイニングホール、そして、その向こうにある裏庭に面した縁側のような小さなスペースがジョンのお気に入りの場所だ。タバコをくわえ、アンダーウッド・タイプライターを打っている。ノミ市ででも買ってきたような、旧式のステレオに載せられ、家中いっぱいに流れているLPレコードのトム・ウエイツ。ジョンがいつも聞いていた音楽だ。
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このドアの向こうに・・・

♪あぁ、ニューオリンズにいたらなぁ
  夢に見えるようだぜ
  みんなと腕組み合って
  バーガンディーのびん持ち 酒盛りをするんだ・・・(筆者勝手訳)

この歌とアンダーウッド・タイプライターを打つパチパチとした音は不思議に融合し、夕闇が迫りランプシェードの薄明かりの中に浮かび上がる、痩せた背中を少し丸め、前のめりになったジョンのシルエット姿は、まるで一枚のモノクロ写真のように、今でもわたしの脳裏に残っている。

ジョンに誘われて、わたしは一度彼の夜間の歴史講義を聞きに、カレッジへ行ったことがある。偉そうに書いてるが、なにを隠そう、内容は皆目分からなかったのだが。 それはアダルト・スクールと言われる、アメリカ特有の夜間学校コースの一環で、様々な年齢、職種の人が、居眠りもせず講義を真剣に聞いているのだった

今でこそ、日本でも一部の大学の門戸が一般社会人に開かれ始めているが、少し苦情を言わせてもらえば、高い授業料と無配慮とで、とてもアメリカの比ではない。これは35年以上も昔の話で、授業料も日本とは比べられないほど安く、多くの人が受講できるようになっていた。アメリカの教育制度の豊かさにわたしは目を見張ったものである。やる気のある者にはチャンスのドアが開かれる。そのドアを押すか押さないかは自分次第である。少なくともあの頃のアメリカはそんな風に思われた。
その時、わたしは初めて、「あぁ、アメリカに来たのだ。」と震える思いに襲われたのだった。

トム・ウエイツ「ニューオーリンズに帰りてぇ」。トムのダミ声はご勘弁いただきます。しかし、聞き慣れるとすごくいい感じが出てるように思われてくる不思議な魅力が彼の歌、声にあります。

Tom Waits:I Wish I Was in New Orleans

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