早稲田で人生を変える 第九回

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後編: 早稲田で人生を変える 第十回

3月の上旬に二浪が確定した私は、岐路に立たされた。

もう一年やって早稲田に受かる保証はない。



ただ、勉強のやり方がわかってきたので、この調子で勉強し続ければ偏差値が上がるであろうというなんとなくの自信みたいなものがあった。やはり、すぐに学力が上がらないのだ。時間をかけて、ちょっとずつ知識を積み上げていく必要があるのだ。

誰でも一年浪人すれば早慶クラスに合格できるわけではないのだ。


親は、心配していた。専門学校に行く選択もあるということを暗に言ってきたし、自分で浪人する気があるなら、もう一年頑張ってもよいと言った。私は3月上旬から親には決断を伝えなかった。そして毎日起きては家を出てた。どこに行っていたかというと、予備校の自習室である。

私は二浪が確定した二日後から予備校の自習室で勉強を始めたのだ。

親は、私がどこに行っていたかは知らない。そして二浪確定後、二週間ほど経った3月中旬に、親には「もう一年、浪人させてほしい」と伝えた。親は了承した。どのような思いだったのだろうか。二十歳前後の我が子が、最も青春を謳歌する時期に二年間浪人することを。きっと、親も心配だっただろう。先が見えない不安があっただろう。

親には、感謝している。

同じ予備校にもう一年、本科生として通うことになった。もう、勉強の仕方はわかっている。あとは、繰り返し積み重ねることで、知識を定着させればいいだけだ。と自分に言い聞かせて、勉強を始めた。春季講習は苦手な現代文を受講した。もう、代ゼミには在籍していない、しもん先生にお世話になった。この先生に教わって、二浪時には偏差値が60台まで上がるようになった。


二浪目は、春から安定的に三教科の偏差値60代中盤から後半を行き来した。

途中、秋ごろに60代前半に下がったこともあったが、一浪時の積み重ねがあったからであろう、二浪時は本当に早稲田が射程圏内に入っていた。学力は積み重ねである。一朝一夕で成績は上がらないのだ。

二浪の時の生活習慣も一浪の時と変わらず、朝6時に起床、朝食を食べ、寝癖を直し、歯を磨き、トイレに行って着替えてから電車で最寄りの駅まで行く。大体7時半ごろに駅に着き、電車を2回乗り継ぎ多摩地区の予備校に8時50分ごろに到着、9時からの1時間目に出席するという具合だ。授業がなければ自習室へ。そして、予備校が閉まる夜8時まで授業に出るか、自習室にて予習、復習の繰り返し。夜8時に予備校を出て、9時ごろに自宅に到着。それから夕食を食べ、お風呂に入り、12時前に就寝。一日12時間勉強した。予備校には私が馬鹿にしていた二浪の新川さんが、チューターとしてアルバイトをしていた。新川さんは二浪して早稲田大学に合格したのだ。皮肉にも、目指すモデルケースになったのだ。二浪の新川さんは良き相談相手になってくれた。もちろん、彼は、私が昨年心の中で馬鹿にしていたことは知らない。私が同じ道を歩むとは。

人を馬鹿にしたりすると、自分に返ってくるものなんだと、このとき学んだ。

明日は我が身。



新川さんとは、一緒に慶應大学の三田キャンパスを見学しに行ったり、夕食をおごってくれたりと、本当にお世話になった。二浪の経験がある新川さんには、なんでも相談できた。模擬試験の前日に夕食に連れて行ってくれたことがある。餃子のお店で、いろいろなバリエーションの餃子が楽しめた。結構な量の餃子とニンニクを食べたので、翌日の模試ではお腹の調子が悪く、休憩時間には大便をし、強烈なニンニクの匂いを発したことを覚えている。その模試の結果は、確か二浪時では一番悪い結果だったし、三教科で偏差値50代まで落ちた、記憶に残る新川さんとの思い出である。



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早稲田で人生を変える 第十回

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