アリゾナの空は青かった【16】North 2nd Ave.927番地を後にして
アリゾナ大学キャンパス内のカフェで、ひとり次の授業までの時間をつぶしていた時である。
およよ?と思ったら、あっと言う間に数人の若い日本人男子学生たちに囲まれてしまった。テーブルで手紙を書いていた手を止め、何事かとキョトンとした顔で彼らを見上げるわたしに、ボスと思し召しき若造が、
「アンタさ、生意気じゃない?」
「日本人と交わらないって言うじゃん」と、おいでなすった。
わっはっは。おふざけじゃございません。
ツーソンに着いて大学に通い始めたころ耳にしたのが、「前期コースの日本人留学生が全員がELS校長のミセス・ネスに呼ばれてしこたま大目玉を食った。週末のみならず週日までもディスコやパブで遊びまくって成績劣悪。コースの修了書出さん。」と、いう噂である。
1979年のことですから、日本はまだバブル経済に突入してない時期のことだ。親のスネをかじった分際で、遊ぶのはまぁ自分の金だからいいとして、勉強しないで何のための留学だ!と人事ながらわたしは心苦く思っていたのである。
わたしをもっと若いと見たのだろうか、徒党を組んでちょいとヤキでも入れてやったらビビるとでも思ったのだろうが、そうは問屋がおろさない。
このボスとはリスニングクラスで同じになり、メキシコ人の少々お高くとまった女子学生と言い合って、男が女に吐くべからざる「Fで始まる4文字」を公衆の面前で言い放った子だ。自己主張を履き違えるとこんな風になる。あぁ、恥ずかしいと思っていたのである。
オフィスの仕事が終わったあと、何年もかけてビアハウスの歌姫バイトで貯めた留学資金を彼らと行動を同じくして遊びに使うなどとんでもない。「危うし」エピソードでも書いたように、この頃わたしは読解力クラスと作文クラスで必死をこいていたのである。
実はシェアハウス内でもちょっとしたトラブルが芽を吹き出しはじめていた。アメリカでは「T.G.I.F.」(Thank God. It´s Fridayの頭文字をとったもので、ああ神様、金曜日だぜぇの意味)と言って、金曜日の夜は誰でもたいていどこかのパーティーに出かける。一人で行くのは少なく、たいがい誰かパートナーを連れて行く。パートナーは別に恋人でなくていい。そこで独り者でハウス同居人のロブはしきりにわたしを誘う。「金曜日の夜くらい息抜きしなよ」
↑ロブの友人カップル。砂漠にある廃墟で、我が人生最初で最後のライフル体験。もちろん実弾は入っていないが、ライフルは思ったよりずっと重いことを知った。この構えではNGだと横にいる彼に何度もダメ押しされた。
留学生活始めの頃は、時々ロブに付き合いはしたものの、週末も宿題等の勉強に追われ、「おアホ」と言われながら、この頃はどんな誘いも断っていた。今振り返ると、少し意固地になっていたところがあった気もする。
うん。927番地の部屋には自分の机がないし、それでいつも夜遅くまで大学の図書館での勉強を強いられる。これはこれで好きなのだけれど、夜のキャンパスは危険なので、女は一人で歩くなとお達しが出ていた。故に図書館で勉強するときは、帰りの安全のためにボディーガードも兼ねて必ず誰か男子学生を誘わないといけない。これもちょっとめんどくさくなっていたのだ。
よし、引越ししよう!こうして927番地を出ることになったのである。
前述のカフェでの徒党を組んだ若造たちとのいきさつはどうなったかと言うとは、こちらはとっくに30のトウが立ってる遅まき留学生だ、理論整然のわたしの言に返す言葉もなく、それでも空威張りで、彼らは肩で風だけはしっかり切ってさったのではある。
著者のSodebayashi Costa Santos Yukoさんに人生相談を申込む
著者のSodebayashi Costa Santos Yukoさんにメッセージを送る
著者の方だけが読めます