アリゾナの空は青かった【24】Mori Pt.2

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著者: Sodebayashi Costa Santos Yuko

ポルトガル時間、真夜中の3時ごろ、電話が鳴る。夫が枕もとの受話器を取り、英語で受け答えする。
「Moriからだよ」 わたしは眠気まなこをこすりながら、起き上がって玄関口に備えてある親子電話に出る。
「おい、今そっち何時?」
「夜中の3時です~」
「うん。それでさ」(←なんで、それでさ、なのか(笑))

こうして始まるアメリカとポルトガルの真夜中談話。向こうは少々お酒も入ってご機嫌なのである。わたしには少しアイツの気持ちが分かるのだ。お酒が入ったりしてちょっと気が緩むと、とたんに日本や日本の友人が恋しくなる。どんなに異国に長く住んでも、そこでの生活に根をおろしていようとも、そういうときにはたちまちに、祖国へのノスタルジアが頭をもたげて来て、それに取り込まれるとやるせない気持ちになるのが。人恋しくて母国語で思う存分話したい思いに駆られるのが。

深夜の国際電話は決まってこのMoriなのである。移住するつもりのわたしが半年で日本へとって返し、カリフォルニアに短期間ホームステイする予定の彼が、その年の秋からMontereyにある大学院に入学し、奨学金とバイトで頑張り通して現地学生を尻目に主席で卒業したのには、随分驚いた。

卒業と同時に、2年間付き合って来たアメリカ女性と結婚し、男3人女1人の4人の子供にめぐまれ、院で取ったコースとはまったく関係のない、バイト時代の延長そのままに、日本庭園師の事業を起こしたのにもまた、少なからず驚かされた。今では、市の請負までするようになり、30人ほどのアメリカ人も雇用していると言う。

人生はなって見なければ分からないものだ。だからこそ面白い。

電話で手紙でとお互いの近況を知らせ合いながら、「いつか会おうぜ」の合言葉が一向に現実味を帯びず、お互い日本へ帰国してもすれ違うばかり。そうこうしているうちにいよいよ、20世紀も終わろうという年に入ったある日、
「おい、俺たち20世紀が終わる前には、会おうぜ!」ということになり、いよいよもって、彼は娘を、わたしは我がモイケル娘をお供に、4人で家族旅行をしようとあいなった。

実はしょっぱなから勘違いですれ違いの世紀の再会であった。大阪から新幹線で上京してくる彼らと、わたしはプラットホームで会うものと思い、MoriはMoriで、東京駅のご存知「銀の鈴」で会うものと思っていたのだ。その年は殊の外暑く、ホームを行ったり来たりのあげく、所沢に住む妹を連絡口とし、約1時間後にやっと「銀の鈴」で20世紀最後、20年ぶりの再会を果たしたのであった。

「俺の出世祝いだ」と言って、アメリカで用意して持ってきてくれた日本国内一週間のJapan Rail Pass周遊券を贈られたわたしとモイケルは、東京を振り出しに彼らと東北の旅へと向かった。しかし、なんせ酒には強いヤツ、おまけに20年間の話が溜まりに溜まって汽車のなかでも宿でも喋るわ喋るわ(笑)

行く先々で、「僕ら、家族ではありまへんねん。こっちのアネさんはポルトガルから、でボクはアメリカから。夫婦でのぉて、友だちでんねん。20年振りに日本で再会して旅行してます~」と聞かれもしないのに説明に走り、相手をキョトンとさせるアイツ^^ わたしはホテルの方がいいというのに、「せっかくの日本や、旅館やで。温泉やで」と言って譲らないアイツ。

前の晩、遅くまで飲んでたと言うのに、朝方5時頃にはもう起き出して、一人サッサと温泉に浸かり、部屋に帰ってきては、まだ寝こけてる3人を「Hey,guys!」とたたき起こし、またまたわたしを朝酒につきあわせるアイツ。双方の娘たちは逞しくも抵抗して、朝っぱらから部屋で大声で話し、大笑いしている大人二人を尻目に、頭から布団かぶって徹底的に寝入っていたのであった。

「一杯のコーヒーが欲しい」と言うわたしに、
「お前、コーヒー中毒ちゃうんか?」 何でやネン・・・
「自分はどうやねん!お酒飲み過ぎちがうんかい!」とは、周遊券をいただいてしまった手前、よう言いえません。

モイケル娘と彼の娘が生まれて初めての温泉だ、共に裸になって入るのはいややと言うに、「何事も経験や。入るまで出てくるな。」と言い張って譲らないアイツ。結局、二人はどうしたかと言うと、片方が入ってる間は、もう片方が脱衣場で待ってる、ということをしたようで、一応入るのも出るのも一緒。

しっちゃかめっちゃかのヤツには、いい加減閉口気味のわたし、彼の娘に
「お父さん、うちでもああなの?」
「Yah」(←彼の娘、日本語話せないのであった)
「お母さん、たいへんだね^^;」
「Yah, でも彼女、辛抱強いから。アハハ」

結局わたしたちは3日一緒に過ごしただけで、彼のバイタリティーに脱帽。 四日目にして、彼らは更に北上して北海道へ、わたしたちは知人が待つ福島へと、我が故郷弘前の駅で二手に分かれたのであった。アイツを見送った後のわたしたちの姿、想像あれ。 モイケル娘、即、「おっかさん、疲れた。」 もうあごを出してへなへなであった。

「俺ね、大阪でお前に会ったころ、やけくそになってたのよ。外大出てもずっと仕事につけなかった。オヤジもお袋もとっくに死んでたし、オヤジはあっちの人間だしね。お前がけっこうな歳食ってるのに、アメリカ行きの夢持って働きまくってるの見たら、俺も頑張る気になってよ」

旅で初めてそんな話を聞いたのであった。

いいではないか。手紙と電話の交流だけで20年も続いたアイツとわたしの間柄だ。少々疲れた再会ではあったが、20世紀最後の思いのたけが叶ったとでも言おうか、ここずっと、お互い音沙汰なしではある。

しかし、わたしは信じてるのだ。いつかどこかから、「おい、会おうぜ。お前がくたばる前に、もう一度よ」と、深夜コールが入ってくるだろうことを。

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