大槌復興刺し子プロジェクト 「東京チーム」ヒストリー ⑥

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【第3章_新たな仲間たちとともに、次のステージへ。

             〜刺し子糸が紡ぐ縁〜 】



[ 刺し子さんからの申し出。〜商品化の作業を現地へ〜 ]


立ち上げから2ヵ月が過ぎた頃には、刺し子プロジェクトは口コミにより

大槌町内でも徐々に認知されていき、

新規刺し子さんの募集を兼ねた「刺し子会」も、たくさんの参加者で賑わうように。

・ 仮設住宅にテレビを買った。

・ 孫や子どもにお小遣いをあげられるのが助かる。

・ 嫁にお米を買ってあげた。

・ 結婚の決まった孫にお祝いを渡せることが嬉しい。


多くの刺し子さんが仮設住宅に移り、生活面・収入面に大きな不安を抱える中、

刺し子で得られる収入をとても喜んでくれていました。

膨大な作業に追われ、今のままでは回らないと危機感を持っていた吉野が

SOSを出したり、何かを頼ったりすると、快く引き受けてくれる刺し子さんたち。

「そんなの、もっと早く言ってよ!」と言われることもあったそうです。


そのうち、アイロン掛けやNG品の修正、新規刺し子さんへのレクチャーなどを

刺し子さんたちが自発的に協力してくれるようになりました。



<アイロン作業を手伝ってくれる刺し子さん(左)と、ベテラン刺し子さんによるレクチャー(右)>


それもすべて、身を粉にして働く吉野や秋田、現地スタッフのひたむきな思いが

刺し子さんの心に届き、信頼関係を築くことができた結果なのだと思います。

これにより、少しずつスタッフの負担が、対応可能な範囲になっていきました。

「刺し子プロジェクトがなくなると私たちも困るから、一緒にがんばっていきたい」

スタッフと刺し子さんが集まって行われた初めてのミーティングで、

刺し子さんたちから出た言葉です。

この活動が刺し子さんたちに必要とされていることを、改めて強く感じることができました。


[ 本舗飛騨さしこさんの協力。 ]


遡って2011年7月。

スタッフの小杉は、岐阜県は飛騨に向かっていました。

当初、手芸品店で資材の調達をしていましたが、生産量が増えるにつれて、

コースターに使用していた生地が廃番になるなど、材料の安定した確保が難しくなっていました。

そんな中、本舗飛騨さしこさんが私たちのプロジェクトを知り、コンタクトしてきてくれました。

当時の担当者、二ツ谷淳さんと久保・小杉のSkypeミーティングを経て、

飛騨さしこさんがプロジェクトへの協力を申し出てくれることに。

不安定だった資材の調達に風穴が開き、ふきん・コースターの布と糸を

飛騨さしこの刺し子専用糸に変更することができました。

また、飛騨さしこさんでは9月から“支援糸”と称して、

「300円を寄付すると、1カセの刺し子糸がプロジェクトに寄付される」

という応援キャンペーンも行ってくださいました。

<刺し子糸。それまでは刺繍糸を使用していましたが、

刺し子さんより度々「刺しにくい」との意見が。

刺し子専用の糸を使用することで、刺し子がしやすくなり、

ふっくらと仕上がるため、品質が向上しました。>


何よりも大きかった変化が、材料のキット化です。

これまではボランティアスタッフの手を借りて、

1枚ずつチャコペンと型紙でトレースしていた下書きが、飛騨さしこさんから

「消えるインクで下書きがプリントされたカット済みの布」と「刺し子糸」という状態で納品され、

それを現地スタッフがキット化して刺し子さんたちに配布できるように。


<コースター(グリーン)のキット。

カットされた状態で納品された布と糸を現地スタッフがキット化して

刺し子さんに配布していました。>


これによりスタッフの作業負担は大きく減り、材料の安定供給に加えて

品質も向上、大量生産に対応できる環境が整ったのでした。


そして、この飛騨さしこさんのオリジナル商品・「段染め糸」は、

その後の刺し子プロジェクトの商品デザインにおいて、なくてはならない存在となります。



[ 2011年8月。テラ・ルネッサンスへの事業移管。 ]


立ち上げから約2ヵ月後の、2011年8月。

東京チームは、吉野をスタッフとして雇用していたテラ・ルネッサンスから

「テラとして刺し子プロジェクトを事業化したい」との申し出をもらっていました。

東北の復興のために、得意分野である“自立支援”で何かをしたいと考えていた

テラ・ルネッサンス。

そして、5人のメンバーのうち4名が遠隔で関わり、しかも本業を抱えながら

業務を続けることに、それぞれが限界を感じ始めていたこの頃の東京チーム。

両者の思惑と状況が合致したこともあり、

代表・鬼丸さんの「2021年までに現地法人化をめざす」という

長期的ビジョンを受け、運営を移管することを決めました。

これにより、大槌復興刺し子プロジェクトは、

資金とマンパワーという重要なリソースを、比較的安定して得られることに。

とはいうものの、商品の企画・制作管理や経営判断は、

引き続き東京チームが中心となって活動していました。

この時点で、販売枚数は600枚を超え、

参加してくれている刺し子さんものべ55名になっていました。

それぞれが家庭と本業を抱えながら手一杯で関わっていた東京チームのメンバーは、

東京近郊でのイベントの販売を中心に、

久保はリーダーとして運営のトータルのフォローやアドバイス、

五十嵐はお問い合わせ対応のフォローや経営・生産管理、

小杉はSNSでの情報発信、オフィシャルサイトの管理、

澤向は商品開発

…と、徐々にではありますが、

それぞれの得意分野を生かした関わり方へとスライドしていきました。


[ 2011年9月。まだまだ予断を許さない、ギリギリの運営。 ~支援とビジネスの狭間で~ ]


運営を無事に移管し、これまで走り続けた東京チームに訪れる平穏な日々。

…とは、やはり、まったくなりませんでした。

ここにきて、プロジェクト最大の事件が起こります。

名づけて、「超大量発注事件」。


トータルで6,000枚分のふきん・コースターの材料を発注していたことが発覚したのです。


立ち上げから3ヵ月間での売上枚数が、合計で約800枚。

いかに無謀な数字だったかがお分かりいただけると思います。


なぜこのようなことが起こってしまったのか。

それはひとえに、高いモチベーションを持って関わってくれる

刺し子さんの手を休ませたくなかったからです。

つまり、「刺し子さんに仕事を回すこと」が目的となり、

刺し子さんへ配布する材料が切れてしまう事態を恐れるばかりに、

現実的ではない量の材料発注が起こってしまったのでした。

「“やること”をつくりたい」から始まったプロジェクトだからこそ、

「やることがない」状態に戻りたくないという一心。

刺し子さんへの愛情、一生懸命さが招いた、深刻な事態でした。


最終的には、この資金はテラ・ルネッサンスが豊富な経験を生かして得た

プロジェクトへの助成金で賄ったのですが、この助成金に関しても、

東京チームは予想しなかった難しさを知ることになります。


この助成金の申請に際しては、お金の使途を明示する必要がありました。

しかし、助成金の用途として買取代・仕入代・人件費などの計上はできても、

管理費や、新商品に取り組む費用としては計上できないものでした。

そのため、ほとんど利益の出ないふきん・コースターを大量に作ることに人手を取られ、

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