大槌復興刺し子プロジェクト 「東京チーム」ヒストリー ⑤

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[ いいことばかりはありゃしない。 〜オーバーキャパシティ、トラブル続きの日々〜 ]


一方で、避難所だった中央公民館を中心に活動していた大槌では、

吉野が6月から「NPO法人テラ・ルネッサンス」に雇用され

職員として、刺し子業務を続けられることになっていました。

テラ・ルネッサンスは、京都を拠点とし、子ども兵や地雷などの課題に取り組む認定NPO法人です。

震災以降、遠野を拠点に物資の支援などを行っていたテラ・ルネッサンス。

東北での次なるアクションを模索していた創設者の鬼丸昌也氏が

旧知の中であった吉野の活動を知り、雇用を申し出てくれたのでした。


また、テラ・ルネッサンスのインターンとしてやってきた

秋田桃子(あきた ももこ)や地元の青年・関もスタッフに加わり、

日々の生産に取り組んでいました。


7月。ようやく避難所から仮設住宅への移行が進んではいたものの、

まだ大槌には住む場所などない時期です。

隣接する…と言っても車で1時間もかかる遠野市に居を構えた吉野らスタッフ。

曲がりくねった峠を越え、往復2時間をかけて大槌まで通う毎日でした。


<当時の遠野事務所。民家をお借りして、事務所として使用していました>


この頃の大槌で行われていた日常業務は、次のようなものでした。

まず、材料の配布。

ふきん、コースターそれぞれに布を適正なサイズに裁断し、チャコペンで下書きをして

刺し子の糸を添えて刺し子さんたちに渡します。

そして、刺し子商品の買い取り。

その場で数を数え、現金を手渡していました。

次に、検品、B級品の修正、在庫管理。

そのまま販売できるクオリティかどうかをチェックし、

直さなければ売れない箇所や、仕様と違う部分、刺し忘れなどに手を入れます。

もともと手先が器用だった秋田に加え、裁縫をしたことのない吉野も、

必要に迫られてどんどん上達していきました。

そして、これまた重要な、新規刺し子さんの募集。新たな参加者への対応。


日々の業務は、すべてが経験のない不慣れなものだったことに加えて、

避難所の閉鎖により、それまではある程度まとまっていた刺し子さんたちが

バラバラに離れた仮設住宅に入居したことで

通常業務はさらに時間と手間がかかるようになり、

スタッフは常に山積みの業務に追われる日々を送っていました。


避難所が閉鎖された後の刺し子会は、大槌町内の仮設の集会所を借りて、

場所を転々としながら行っていました。

参加する刺し子さんにもスタッフにも大きな負担でしたが、

2011年12月に大槌に開設した事務所の環境が整い、

刺し子会が開催できるようになった翌4月までは、

刺し子会はこのような形で続けられたのでした。


<初期の「刺し子会」の様子>


一方、神奈川で発送作業をしている澤向も、本業を抱え、

大量に届く刺し子の商品化・発送作業がままならない状態になっていました。


誰もが許容範囲を越える作業量を抱える一方で、日々増え続ける注文。

その頃、内部では商品をめぐって

カンカンガクガクのやりとりが増えていました。


刺し子さんが増えたことにより、正直なところ、

クオリティのバラつきが避けられない状況になっていたのです。

修正することで販売できるレベルのものはまだ良かったのですが

(それでも、その修正にかかるスタッフの手間が、通常業務に支障をきたしていたことも事実です)、

どうにもならないものは、残念ながら「不良在庫」として抱えるしかありませんでした。

この時は、買い取りを断ったり、修正を義務付けたりするよりも

刺し子さんが脱落すること、離れていくことの方を

避けるべきだと考えていたためです。


とはいえ、お客さまとのやりとりの窓口となる東京チームには、

決して安くない価格の商品を購入し、使ってくださるお客さまひとりひとりの顔が浮かびます。

特に、当時、受注・販売の窓口として最前線でお客さまとやりとりをしていた私の心中は、

穏やかではありませんでした。


「この商品が届いたら、どう思うだろう?

あまりかわいくない、上手じゃない、とガッカリするのでは?」

そう不安になってしまう出来ばえのものが、少なくない数含まれていました。

目玉の玉止めが取れそうなカモメ、デザインのポイントでもある4つ角の米刺しが

キレイに刺せていないコースター。

刺し子の一部が漏れていて、販売できないものもありました。




<初期に、NGとなり販売できなかった刺し子の一部。

 糸の色が違うふきん、角の出ていないコースター、目玉の大きすぎるかもめ。>


大きな段ボールで刺し子が届いても、商品化して発送できる商品が足りない。

日に日にピリピリしていく私…。

家の中には、下書きのインクが落ちずに何度も洗濯をやり直し、部屋中に吊るされるふきんの山、

「刺し子漏れ」「糸の色が違う」「かもめの目玉が取れそう」などと付箋の貼られた

返送用の「NG品」の山…。


一方、がんばって取り組んでいるし、大変な思いをしている刺し子さんに

できるだけやり直しをさせたくない現地スタッフ。

「もう刺し子さんを苦しめたくないんです!」と電話口で泣かれたこともありました。


東京チームだって言うまでもなく、

刺し子さんを苦しめたくてやっているわけではありません。


当時、少なくとも表向きは“日常”を取り戻しつつあった首都圏で暮らす私たちと、

不安と疲弊の募る避難所に通いつめて毎日を過ごす現地スタッフ。

その目に映るもの、直面している状況には大きな隔たりがありました。

現地スタッフはきっと、刺し子さんたちにいろいろな要望を伝えにくい

状況にあったのだと思います。

一方で、私たちには、買ってくださる方に対して、その前線に立っているという

責任がありました。


「大変なのだから」、

「可哀想なのだから」、

「買ってあげなくちゃ」。


もちろんそれも、尊くありがたいことに違いはありません。

でも、1年後は? 3年後は?


金額に見合った価値を提供できなければ“継続”できないという

危機感を、東京チームのメンバーは常に持っていました。

両者の違いにできる限りの想像力を働かせながら、それでもやっぱり、

「クオリティの低いものを提供してしまったら、

長い目で見た時に、刺し子さんたちが困ることになるのだ」

ということを理解してもらえるよう、何度も話し合いを重ねました。

資材調達、生産管理…さまざまなことが予想を超えた規模でまわり始めたことで、

ほころびも出始めた時期でした。



< 大槌復興刺し子プロジェクト 「東京チーム」ヒストリー ⑥ に続きます >


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大槌復興刺し子プロジェクト 「東京チーム」ヒストリー ⑥

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