大槌復興刺し子プロジェクト 「東京チーム」ヒストリー ③
[ 手仕事の力 〜刺し子をする時間が与えてくれるもの~]
当初、刺し子ふきん・コースターは、
「1枚縫うごとに必ず買い取る」というルールでスタートしました。
仕上がった商品のクオリティや、実際にそれが売れるかどうか…
正直なところ不安要素は大きかったし、意見も分かれました。
それでも、議論の末に至ったのは、
作り手に対して誠意を持ってやっていきたいね、ということ。
まずは「一生懸命刺し子をしたら、必ず収入になるのだ」
ということを打ち出そうということになり、
思い切ってこのルールを決めたのでした。
この頃、ひとつひとつゼロから決めなければならないことがとても多く、
思い出せないほどたくさんの話し合いを重ねました。
大企業勤務ならではの五十嵐・小杉によるネガティブチェックも
プロジェクトを誠実に運営するために欠かせないものでした。
それでも、たった5人による運営という身の丈に合わせなければならない局面も。
「それを言っていたら始まらないよね」という言葉が何度も出ました。
多くの部分において、「えいや!」でやろうということがありました。
不安な点を挙げればキリがない状況の中、
ある場面では、すべてを買い取ると決めた時や、価格の決定のように、みんなで腹をくくる。
一方では、頭を冷やし、「やらない」という選択をする。
たとえばウェブサイトひとつとっても、充実させようと思えばキリがありませんでしたが、
スピードを再優先して、線を引いたり…
そういうことのバランスが、メンバー間でうまく取れていたのではないでしょうか。
もちろん、穏やかならざるムードになったことも数知れず。
5人という人数と2:3の男女バランス、それぞれに積み重ねてきた社会経験、
そして「自分のためでなく被災地のため」という共通の思いが根底にあることで
最悪の事態(空中分解)に至らなかったのは幸運でした。
今振り返っても、ギリギリのところで保たれたバランスに感心しますが、
その大きな要因は、自分たちで考えてみると
「全員が、お互いの仕事ぶりに敬意を払っていたこと」
に尽きるのではないかと思っています。
一方、大槌では、刺し子の制作が進んでいました。
「針仕事はあまり得意じゃなかったんだけど…」と言いながらも、
針と糸を手にすると、自然に背筋がスッと伸びる女性たち。
その所作は、一朝一夕のものではないことがすぐにわかりました。
始めたばかりの頃、刺し子さんたちが口を揃えて
言っていたことがあります。
「刺し子をしている時間は、嫌なことを思い出さずに、無心でいられるの」
なにもしないでいると、嫌なこと、悲しいことばかりを考えて気持ちがふさいでしまう。
でも、ひと針ひと針に集中している時間は、何も考えずに目の前のことに没頭できる。
Photo by Shu Tokonami
その時間は、目の前に一面に瓦礫が広がる大槌の町で、
また、それらが片付けられ見渡す限り何もなくなってしまった光景の中で、
どれほど必要なものだろう。
もしかすると、このプロジェクトには、目先の収入を得る手段という以上に、
大きな意味があるのかもしれない。
これは、なおさら“続けられるもの”にしなければ…。
その意識が強くなったことを覚えています。
そのようにして、大槌町の中でプロジェクトのことが徐々に口コミで広がり、
参加する女性たちも増えていきました。
わからないところや難しいところは教え合い、話し合い、やり直しながら、
続々と仕上がっていく、ふきん、コースター。
[ サイトオープン。忘れられない刺し子さんの言葉。 ]
大槌で女性たちが刺し子に精を出す一方で、
IT分野の技術的協力者である西井さんによる刺し子プロジェクトのウェブサイト制作も、
着々と進行していました。
そして、プロカメラマンのShu Tokonamiさんが撮影し、
使用を快諾してくださった刺し子さんたちの素敵な写真も、
ウェブサイトやポスターをはじめさまざまな場で
プロジェクトを知ってもらうための大きな力となりました。
そして、震災からちょうど3ヵ月の2011年6月11日。
「大槌復興刺し子プロジェクト」はサイトオープンをもって
とうとうオフィシャルに活動をスタートしたのでした。
本音を言えば、不安でいっぱいの立ち上げでした。
たくさんの議論を重ね、できるだけ万全を期して進めてきたつもりでも、
実際にみなさんに受け入れていただけるのか、商品を買っていただけるのか…。
前に進むしかないんだ!とメンバーで励まし合いながらも尽きない不安。
それはなによりも、がんばって、張り切って刺し子をしてくれる
大槌のおばあちゃん、お母ちゃんたちをガッカリさせたくない、その一心でした。
ちょうどこの頃、忘れられない一本の電話がありました。
大槌で刺し子さんの募集や説明、材料配布に奔走する吉野からでした。
ご自宅を流されて、財産もすべてなくしてしまった、あるおばあちゃん。
毎日のように避難所に顔を出してくれる小学生のお孫さんにも、
してあげられることが何もなかったのだそうです。
「それがね、刺し子でもらったお金で、孫にジュースを買ってあげられたのよ!
今まで、汗をびっしょりかいて帰ってきても、何もしてあげられなくて、それが悲しくてね。
本当にありがとう!」
おばあちゃん、本当に喜んでいました…と、そんな報告の電話でした。
胸が詰まり、涙が出ました。
始めてよかったのだと、心から実感した出来事でした。
それぞれの電話口で泣きながら、「良かったね…」と
やっとそれだけ言ったことを、今でも忘れません。
<大槌復興刺し子プロジェクト 「東京チーム」ヒストリー ④ へ続きます>
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