大槌復興刺し子プロジェクト 「東京チーム」ヒストリー ②

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最大の強みである人懐っこさをいかんなく発揮していました。


たくさんの人が避難し、ロビーにも人があふれるほどの大所帯となっていた大槌中央公民館。

吉野はそのロビーにダンボール製の寝床を確保したのです。

当時の避難所を見たことがある方なら想像に難くないと思いますが、

これは簡単なことではありません。

縁もゆかりもない人間が、寝泊まりを始めるのですから。

久保は何度も避難所に通いましたが、そこに寝泊まりをさせてもらおうという

発想自体が思い浮かばなかったといいます。

ただ単に図々しければできるというものではありません。

彼の掛け値のないまっすぐな思いとふるまいが、

いまだ混乱の中にある大槌中央公民館の避難所で受け入れられた。

このことが、大槌復興刺し子プロジェクトにとって

非常に大きな一歩となるのでした。


<大槌中央公民館のロビーに住み着いた吉野>


当面は、私や久保らで作成した避難所マップをもとに、

各避難所のリーダーに会い、支援物資のフォローを継続。

そうやってたくさんの人に話を聞くことを続け、現地の生の声、

最新の課題をSkypeにて東京チームのメンバーと共有していきました。

Skypeはいつも、メンバー全員の仕事や子どもの寝かしつけが終わった22時からスタート。


日に日に暑くなり、皆とにかく洗濯に苦労している。

大型のランドリーを設置できないだろうか?


買い物に行くにも病院に行くにも、車がなければどこにも行けない。

タクシー・ボランティアを募り、車がない人や運転できない人の足になれないだろうか?


さまざまな課題が挙がる中、吉野から出た一言が

大槌復興刺し子プロジェクトを生み出すきっかけとなります。


「今すごく気になってることがあって…。

避難所のお年寄りのことなんです。

みんな元気で本来は働き者なんだけど、

避難所だと『みんなの邪魔になっちゃうから』って言って

ダンボールで区切られた狭いスペースからほとんど動かずに、

一日中横になって過ごしてるんですよ。

男性は自宅跡に戻ったり、瓦礫の片付けをしたり

肉体労働だけどやることはたくさんあって、

でも台所もないから女の人はとにかくやることがない。

あれじゃあ元気な人も元気じゃなくなっちゃう」


幼い頃からたくさん接してきた、故郷岩手の高齢女性たちの姿が目に浮かびました。

「少しは落ち着いて座ってよ〜!」と言いたくなるくらい

マメで働き者ばかりの“田舎のばあちゃん”の姿。

そんな“ばあちゃん”たちが、やるべきことを失って

一日中ぼんやり過ごしているだなんて。


それはなんとかしなくちゃいけないよ!

一気に前のめりになる東京チームのメンバーたち。


女性たちに“今、やるべきこと”を創りだそう。

それが収入にもなるといいよね。

できれば、震災を機に立ち上がったブランドとして育っていったら最高だね。


物資による支援がひとつの区切りをつけつつあり、

誰もが少しずつ、“この先”に目を向けはじめた頃のことです。


コンセプトは、当時久保が話していた言葉から

「魚ではなく、釣り竿を届けよう」

となりました。



[ “刺し子”にしよう! ]


コンセプトが決まり、手仕事プロジェクトのアイディア出しが始まりました。

織り物は? 編み物は? 簡単な布小物なんかはどうだろう?

さまざまなアイディアを検証する中、小杉から出たのが「刺し子」の案でした。


小杉が刺し子を選んだ大きな理由は、以下のようなものでした。

・針と糸と布さえあれば,場所を取らずに誰にでもできる。

・初期投資があまりかからない。

・脳科学上、何かに集中し夢中になることは、幸福感を増し、うつ病や認知症の予防にもなる。

加えて、小杉には、宮城の出身者として東北に対する思い入れがありました。

東北の歴史を紐解いてみると、幾度も厳しい自然に打ちのめされ、苦しんできました。

そんな中で、家族の無事や平安&豊穣の祈りを込めて刺し子をしてきた、東北の女性たち。


せっかく始めるなら、東北に根ざした文化/伝統工芸にしたい。


この意見に全メンバーが同意し、

手仕事プロジェクトは「刺し子」とすることに決まりました。


特にメンバーの誰かが刺し子が得意だったわけでも、とりわけ詳しかったわけでもありません。

ふきん1枚すら縫い上げたことのないメンバーもいる中、

自分たちの得意なこと、関わりやすいことではなく、

できる限りの想像力を持ち寄り、

大槌の女性たちがどんなことなら、やりやすいのか、続けやすいのか。

…に思いを馳せた結果の「刺し子」という選択でした。



[ デザインの重要性。 〜デザイナー・榊原直樹さんとの出会い〜 ]


刺し子にしようという方針が固まり、

次に行ったのが、デザイナーへのアプローチです。


当初から主な販路はインターネット通販を想定していました。

一過性のものではなく継続のために販売するのであれば、

自由に女性たちが縫ったものを販売するのは効率的ではありません。

一枚一枚写真をとってアップし在庫管理するには手間がかかりすぎます。

そのためどうしても共通デザインで制作する必要がありました。


メンバー間に共通していたのは、

「震災があったからということで同情して買ってもらうんじゃなくて、

長く使いたくなるような、魅力ある商品を作りたい。

そのためには、第一歩からデザインにこだわることが重要」

という認識。


そこで私が、旧知のデザイナー・榊原直樹(さかきばら なおき)氏に

コンタクトを取りました。

榊原さんは、人気アーティストのCDジャケットやコンサートグッズ、

ロゴデザインなどのグラフィックデザインを中心に、第一線で活躍するデザイナー。

温かみのあるデザインに定評がある実力者です。


私にとっては、数年ぶりに会う榊原さんへの、勇気を出してのアプローチでした。

「こういう種類のことって、“お願い”をしてしまうと、断る方が罪悪感を感じてしまう。

それではおかしい。だから、誘います。よかったら、一緒にやりませんか?」


私たちの趣旨を聞いた榊原さんの返事は、こういうものでした。

「泥かきとか、できることをやってみたけど、

できれば本業であるデザイン領域で役に立ちたいと思っていた。

望むところです!」


真っ直ぐな視線と言葉で快諾してくれた榊原さんを前に、

私は、強く背中を押されました。


“何かしたい”人は、いろんなところにいるのだ。

その気持ちを丁寧につなげていければ、きっとうまくいくはず。

そう思えたスタートでした。


体育館の中を段ボールのパーテーションで区切った、僅かなスペース。

それを考慮して、プロジェクトの第1号商品は

「コースター」と「ふきん」の2種類とすることに決定。

榊原さんは早速デザインに着手してくれました。


デザインに際して、こだわった点は大きく2つです。


1)刺し子をする人が、穏やかな気持ちになれるようなデザインと色づかいのものを。

2)大槌の町の鳥である「かもめ」をモチーフにしよう。


加えて、こだわりというよりは、技術的な制約もいくつかありました。

縫うためにも、下書きをトレースするためにも、

曲線が少なく、難易度の高くないデザインであること、

1枚を制作するための所要時間の目安…など。


榊原さんは、刺し子の伝統柄について勉強し、

“伝統柄と今どきのデザインの融合”をコンセプトとしながら、

上記の制約も加味した上で、温かいデザインに仕上げてくれました。


Skype会議でも全スタッフに大好評。

初期段階でデザイン面の感覚・コンセプトを統一できたことも、

プロジェクトを育てる上での重要なポイントだったように思います。

そして、技術的な検証のための試作を重ねた末に、デザインが完成したのでした。


それが、“羽ばたくかもめ”と“羽を休めるかもめ”という

2つのモチーフが刺し子された

「かもめコースター」と「かもめふきん」でした。



<デザイナー・榊原さんによるデザイン画像>


ちなみに初期のタグは、綿テープに並縫いで「大槌の“O”」の文字が入ったもの。

素材は、小杉が手芸店でいくつかの素材を見繕い、

榊原さんが糸の色とあわせて選んだもので、

このタグが、手作りの温かさをより一層強めてくれました。



<初期のかもめコースター(グリーン/ベージュ)。

 大槌町の鳥・かもめが、大空に羽ばたく姿と羽を休めるところを描いています>



< 大槌復興刺し子プロジェクト 「東京チーム」ヒストリー ③ に続きます >

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大槌復興刺し子プロジェクト 「東京チーム」ヒストリー ③

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