落ち葉を見て「死」を悟ることで、死の問題が解決した話 第4回
答え探し
解決の候補から宗教が消えていましたので、それ以外のものから答えを探さなくてはいけません。いろいろと考えたあげく、私は自分の死に大きな意味を与えることにしました。自分の全存在と交換しても良いと思えるほどの意味を死に与えることができれば納得できる。その方向から死の問題を解決しようとました。
そのためにまず柳田邦男氏の『犠牲-わが息子・脳死の11日』を読みました。そして、「われわれが一日一日を平穏に過ごしていられるのは、この広い空の下のどこかで名も知れぬ人が密かに自己犠牲を捧げているからではないか」という考え方を知りました。私の犠牲によって世の中に一日の平穏が訪れるのです。自分の死を全体への奉仕と考えれば、大きな意味を与えられるのです。私は、これを死の問題の答えにしようと思いました。
それとは別の日に、小津安二郎氏の『東京物語』をみて、日本人の古き良きこころを再発見しました。それは私がこの世を去った後も、未来に受け継がれてゆくものです。自分がそのような美しいものの永遠性の一部であることを、生きてきたこと、死ぬことへの納得にしようと思いました。
そのように意味を見いだせたときは、「死の問題は解決した」と思うのですが、日にちが経って冷静さをとりもどすと、ひとつの思いがわきあがってくるのです。
結局のところ、私は死にたくないのです。それだけは受け入れられないのです。同世代の人間は、これからも生きてゆけるのです。そして、この瞬間も人生を謳歌しているのです。「くやしい。どうしてこんなことを考えなければいけないのだろう。死に納得する?冗談じゃない。どうしても死にたくないのだから、納得できるはずがない」
しかし、たとえそうであったとしても、生きるためには死を納得するしかないのです。そうしなければ、移植が受けられないのです。
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