普遍的な解決とは何か 第2回

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解決


 無粋ですが、解決の必要性が問われていますので、『死を見つめる心』の死の問題を解決してみましょう。さきほど1章の闘病記において、ひとつの答えを示しました。それを文末に加えると、この問題も解決です。


 人間は、どうしても、死ななければならない。しかし、どうしても死にたくない。とは言え、死は特別なことではなく自然なことだ。そして私も自然の一部である。だから私が死ぬのは自然なことである。


 この解決は「死ななければならない」と「どうしても死にたくない」という、動かしがたい平行線の間に引いた補助線のようなものです。数学の図形問題では、補助線には以前のものの見方を変える働きがありますが、この場合見方は何も変わりません。「死ななければならない」はそのままですし、「どうしても死にたくない」もそのままです。なぜなら補助線は、二本の線の触れないように間に引かれたものだからです。

 しかし、まったく何も変わらないわけではありません。それが引かれることによって、ひとりの人間に相容れないものが同時に存在することで生じた「矛盾」が解消されるのです。(「矛盾」の原因である「死ななければならない」と「どうしても死にたくない」の矛盾の不快感は解消されません。そこから生じた「矛盾」のみが解消されるのです)

 「矛盾」とは悩みのことです。それは言葉以後の領域ですから、解決しても言葉以前の死の恐怖には届きません。そのため、死の問題を解決した心境とは「死ぬのは怖い」「どうしても死にたくない」「生きていたい」「死ぬのは自然なことだという納得」が共存するものです。

 それは死の覚悟ではありません。死の現実を正面から受け止めたものでもありません。そもそも精神論ではありませんので「死ぬ気になれば何でもできる」ということが平然とできるようになるわけではありません。生きることをあきらめたわけでもありません。いのちを軽んじる態度でもありません。死にたくないですし、生きていたいのです。ただ、死ぬことは自然なことだと納得した結果なのです。

●コメント

映画アルマゲドンの主人公のような「納得の死」とも別物です。次回は同じ内容を視点を変えて論じることで、さらに踏み込んでいきます。


続きのストーリーはこちら!

普遍的な解決とは何か 第3回

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