普遍的な解決とは何か 第3回

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価値観



 人は、自分の欠けた一部を「当たり前」や「自然である」で補うのは容易ではありません。それと同じように、死の問題の答えの欠如も「当たり前」や「自然である」で埋め合わせするのは容易ではありません。

ここからは、それを困難にさせている要因について考えてみましょう。


 テレビ放送された「ハーバード白熱授業」は、マイケル・サンデル教授がその日のテーマのために用意した場面設定からはじまります。それが終わると今度は視聴者にむけて問いかけます。意欲的な視聴者は頭のなかでその場面をえがいて、サンデル教授の問題を考えようとします。そうこうしているうちにテレビのなかでは、答えをひらめいた受講生が手をあげて意見を述べます。一人の発表が終わると、次の人が別の意見が述べられます。

 サンデル教授の質問には、複数の回答が寄せられました。それらは各々の価値観に合う答えですから、他人には賛成できないものかもしれません。しかし、本人にとっては正しい答えなのです。そして、その人がそれを自分の答えに採用した理由は「正しい」と感じたからであり、さらには「これでよし」という手ごたえや納得のようなものがあったからです。(それらのない意見をわざわざ挙手までして大衆の面前で発表することはありません。)

 ここで一度頭を休めて、今の状況の因果関係をひっくり返してみましょう。すると、人は問題を考えている状態では、目の前にあらわれた価値観のうち、手ごたえや納得をえらえたものを自分の答えにしているという当たり前のことが、改めて分かるのです。



 物理学の進歩によって宇宙の究極理論が分かれば、「人間は何のためにうまれたのか」という問いの答えが分かるかもしれないと言われています。

 かりに今、宇宙のすべてが解明できたとして、人類がその答えを手にしたとします。そして、もし、それが人間の存在を無条件で肯定するものであれば、誰もが納得できる究極の価値観といえるでしょう。これを価値観Aとします。

 一方、自然は人間中心主義にはできていません。手にした答えが無慈悲なものであるかもしれません。その場合、私たちは事実としてそれを受け入れるしかありません。これを価値観Bとします。

 さきほどみたように、人は問題を考えると「これでよし」の手ごたえや納得がえられる価値観を探しています。このときに、価値観Aに出会えれば、自分の生まれたこと、死ぬことが全肯定されるのです。強烈な感動に涙が止まらないかもしれません。もすしかすると、私たちは価値観Aによって、死の問題の普遍的な解決が実現できるかもしれません。

 しかし、出会ったものが価値観Bであれば、「のれんに腕おし」「ぬかにくぎ」のような淡白さに、私たちのこころは微動だにしないでしょう。たとえそれが、死の問題の普遍的で究極の答えであったとしても、私たちの「死の問題の普遍的で究極の答え」にはなりえないのかもしれません。

 冒頭で示したように、私たちは自分の不足分を「当たり前」や「自然である」で足るのは容易ではありません。それは死の問題の答えの欠如も例外ではありません。しかし、1章で示した解決とは、「当たり前」や「自然である」で満足するものであり、価値観Bに属するものなのです。



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