普遍的な解決とは何か 第1回

後編: 普遍的な解決とは何か 第2回

死を見つめる心



 宗教学者の岸本英夫博士はメラノームという皮膚がんを告知されると、平時では決して感じることのない、生命への飢餓感を経験されたそうです。強烈な飢餓感は、生の執着と死の恐怖を生み、それらの間で押しつぶされそうになる岸本博士に死の問題を投げかけました。


人間は、どうしても、死ななければならない。しかし、どうしても死にたくない。この矛盾を解くためには、どうすればよいのか。


 かつて宗教のえがく死生観は、死に向き合う人々の心を救えていたのかもしれません。しかし、近代思想が生み出した岸本博士の知性は、それらを無批判に受け入れるのを許さなかったのです。宗教という有力な解決策と決別した後、岸本博士は死の岩頭のギリギリに立って、自らの納得する答えを探されたのでした。



 「死にたくない」しかし「死ななければならない」。この二本の線は、気持ちの上では決して交わることのない平行線です。しかし、それらが交わらなかったという例はこれまでに一度もないのです。

この事実の最もシンプルな解決は、死のない生命を実現して、平行線を永遠に交差させないようにすることです。(それができれば死の問題は解決です。)

秦の始皇帝は、不老不死の薬によって永遠の命を実現しようとしました。豊富な資金力を背景に、世界中に使いを走らせましたが、ついに手に入れることはできませんでした。

 歴史はながれ、不老不死の薬のかわりに、人間の不断の努力が死のない生命を部分的に実現しました。医学の進歩は不治の病をなおし、寿命を飛躍的にのばしました。科学の進歩は生命をうみだすことに成功しました。しかし、このさき科学が加速度的に進歩したとしても、現代に生きる人が永遠に若くいることはできそうにありません。

私は運良くこのたびの危機を回避することができました。しかし、不老不死の薬でも飲まないかぎり、いつかその瞬間は訪れるのです。

それではそのときの生の執着はどうなるのでしょう。死の恐怖はどうなるのでしょう。岸本博士は『死を見つめる心』の一文を次のように締めくくりました。


結局のところ、死の問題はどうなるのか。どうにかして解決する方法があるのか。現代人が、すべて、簡単に納得するような解決は、どこを見まわしても見当たらないようである。どうしようもないところが、問題の実状である。しかし、この問題はどうしようもないといってすましてはいられない。死は、解決の方法があろうとなかろうと、現実の事実として迫ってくる。死が迫ってくるということだけは、動かすことができない。宿命的な事実である。

 死の問題は、どうしても解かなければならない問題として、人間のひとりひとりに対してくりかえしくりかえし提起される。どうしても解かなければならないけれども、どうしても解くことができない。これは永遠のなぞとして永久に、人間の上に残るのであろう。


 命あるものは死を避けられないのですから、岸本博士の言う通り、死の問題は私たちひとりひとりに対して、くりかえし提起されるのかもしれません。しかし、死の問題は「どうしても解かなければならない」かは分かりませんが、「どうしても解くことができない」とは、本当なのでしょうか。それは無宗教では解決できないのでしょうか。


●コメント

死の問題は解決不可能とされています。その認識を宗教なしでくつがえそうというわけです。



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普遍的な解決とは何か 第2回

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