闘病記の再構築 第3回

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闘病記


死の問題とは、考えても解決できませんが、考えなければ解決に近づけないという矛盾を含む問題であると思います。そのような問題を仏教では公案と呼んで、仏法の真髄を伝える方法として使用されます。

具体的には、師匠から公案が与えられます。弟子は熟慮して答えを提出します。しかし、頭で考えたものは公案の答えとして不十分なのです。師匠は公案をかえしさらに調べるようにうながします。その後、同じやりとりが何度もくりかえされて、弟子は追い詰められてしまいます。そしてこれ以上は考えることができないという一線を超えるときに、答えが分かるのだそうです。

私には、公案を調べる禅僧と、重い病をかかえて死の問題を解こうとする姿は重なって見えます。事実2つの構図はとてもよく似ています。たとえば、公案には師と弟子がいますが、それを一人でこなすのが死の問題です。そまた、公案は自分の答に相手がうなずけば良いのですが、死の問題は自分が出した答に自分自身が本当に納得できるかということです。それ以外の違いが思いつかないのです。

ちょうど調べものが手詰まりになっていましたので、仏教を次の手がかりにしてみようと思いました。そして、少し勉強すると仏教では影響を受けすぎることが分かりました。知識が増えるにつれて、オリジナルの記憶が損なわれるのです。それは防げないことですから、まだ損なわれていない記憶は、なるべく純粋なままをどこかに保存しておこうと思いました。こうして闘病記を上梓しました。



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