無宗教で死の問題を解決する方法の性質について 第3回

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ホテル 


夜、寝る前にジョージ・G・スピーロの『ケプラー予想』を読みました。「球をもっとも密に積み上げる方法は、果物屋のオレンジの積み方である」という数学の未解決問題に挑んでいたトマス・C・ヘールズは、証明の途中にあらわれた障害物に頭を悩ませていました。

ヘーゲルはそれを取り除くための、その分野で正攻法と認められた方法を2つ手にしていたのですが、どうやってもうまくいかないのです。その後、一年近く考えましたが、証明は先に進みませんでした。藤原正彦氏によると「数学者が問題に没頭するという意味は、その問題以外のことはほとんど何も考えない、ということである。朝昼晩ぶっ通しで、食事中、歩きながら、入浴中、トイレの中で、睡眠中でさえ考え続ける」ということだそうです。400年間誰も解くことのできなかった数学の未解決問題とは、そこまで考えても成果が上がらないものなのです。

彼の研究の前進の瞬間は、数学研究所のセミナーに参加していたときに訪れました。講演はうわのそらで、いつものようにケプラー予想で最密充填されたヘールズの耳に、突然講演者の声が届いたのです。


ものごとの進め方には三通り以上の方法がある


この言葉に、ヘールズはひらめきました。これまで方法は2つしかないと思い込んでいたので、そこから導かれる結果ばかりに気をとられていたのです。その思い込みに疑いの目を向けたとき、2つの方法のハイブリッド型の第三の方法を思いついたのです。それによって先に進むことのできたヘールズは証明に成功したのでした。

『ケプラー予想』の話は、当たり前とされている前提を疑うことがブレイクスルーにつながった一例です。それでは死の問題を解決する方法を考えようとするときに、ヘールズと同じように、疑うべき前提とは何でしょうか。悟りを開く方法が、座禅とヴィパッサナー瞑想の2つしかないということでしょうか。それとも、さきほどあげた例が老子や荘子など著名人であることでしょうか。それとも、「方法を考える私も」「前提を疑う私も」「前提を否定して新たな視点にたつ私も」すべて‘世界’に存在する様が正しくない状態にあることでしょうか。



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