過去のトラウマが消えない…。昔書いた人生脚本を書き換えるために必要なこと-1
それが、先日の友人との話で見つかった。
悲しい、という感情の奥に
未浄化の感情が残っていたのだ。
その感情とは「承認欲求」だった。
承認欲求は人の三大欲求であり、誰しもが持っている。
私はこの欲求が、とてもつよい。
しかし、彼に対して生じた承認欲求に気づかなかった。
というか、自分の本音をごまかしていたのだと思う。
なぜなら
「自分の感情を受け止めてもらえなかった」という事実を認める
↓
見捨てられ不安が強烈に発生する(←私の地雷。トラウマ)
↓
不安を味わわせた彼をひたすら責める
↓
関係に亀裂が入るかもしれない
という流れを瞬時に描き、
それを避けるためにごまかしたのではないか、と気づいた。
そして彼には まわりくどい言い方で
くどくど ひたすら
「悲しい。寂しい。」を繰り返し伝えて
彼を困らせた。
-*-*-*-
私は子どもの頃、親に認められずに育ってきた。
子どもは、精神的もしくは物理的に
「親が離れる=自分、死ぬんじゃないか…」
という恐怖を抱く。
なぜなら、幼い子どもは自力で成長するのが困難だから。
基本的に子どもは、親の育児のもと育っていくものだから。
けれど、私は精神的な親という支えがぐらぐらして不安定だった。
大人になってから、
そうなったことには事情があり、仕方のなかったことだとわかったけれど
理由など知らない子どもの私にとっては、それが猛烈な恐怖だった。
しかし、怖さを感じながら生きることは苦痛なので
その怖さを見ないように、自分の感情にふたをして生きていた。
しかし結局、ふたをしても溢れるくらい、人も世界も怖かった。
そんな恐ろしい世界の中、最も近くにある「家族」という場ですらも安心できず
自分で自分をで守ってきた。
それでも、家庭外でも色んな事が起こる。
いじめ、暴力、昼ドラみたいなどろ沼な恋愛…
そんなことを経験するたびに
自分を守るだけではもう足りなくなってしまい
「ガードしながら相手を責める」
という術を身に着けていった。
こうして
幼いころ~彼とのやりとりを振り返り、ふと気づいた。
今起きていることは 今までにも起こったことだ
ということを。
そして、問題を解消しない限り、同じカルマがループするのだ。
人は子どものころのトラウマ的体験から
「人生をこう生きよう」という人生脚本を書く。
その脚本が書き換えられることに気づくまで、大人になっても脚本の通りに生きる。
脚本は単純で、「こういうことが起きたらこういう対応をする」
という方法が決まっている。
だから、嫌なことが起きたときの自分の対応パターンもループするのだ。
そして気づいた。もしかすると、何よりも一番大事なことに。
相手を責めることで、自分から逃げているのではないか?
ということを。
つづく
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